ページ 飢餓をゼロに 世界から飢餓をなくすことは、現代における最大の課題の一つです。2023年に飢餓に直面した人は最大約7億5,700万人で、これは世界では11人に1人、アフリカでは5人に1人に相当します。また2024年8月にはスーダンで飢きんが確認され、人口の約半数の2,560万人が急性の飢餓に直面しています。 ビタミンやミネラルなどの栄養素が乏しい食生活の結果、さらに何百万人もの人びとの健康や生活の見通しに影響を与え、地域社会や国全体の未来に影を落としています。
ストーリー | 04 8 月 2021 ブルンジ: 子どもたちの食生活を支える日本の魚缶 ブルンジ北部のムインガにある小学校に通う14歳のニィビツィは、「金融関係の仕事に就いて、家族に良い生活をさせたい」と話します。 国連WFPはブルンジの700以上の学校で50万人以上の生徒を対象に、いわゆる地産食材による学校給食で、米、トウモロコシ粉、豆、葉野菜などを提供しています。ニィビツィもそのうちの一人です。 これは、国連WFPが推進しているコミュニティの強靭性の構築の一形態で、コミュニティが完全に自立するために必要な農業技術と資源を提供し、作物を栽培することで、子どもたちに多様な食事を提供するために必要な食材を学校に供給しています。 しかし、すべての食料が国産ではなく、植物性でもありません。 2019年以降、日本政府は支援を拡大し、学校の子どもたちに、魚を提供しています。
ストーリー | 06 8 月 2021 人生を変えた学校給食―オリンピック・マラソン銀メダリストポール・テルガト オリンピックのマラソン銀メダリストで世界記録樹立者であるポール・テルガトさん(52)はケニアの半乾燥地帯にあるリフト渓谷のバリンゴ郡という、干ばつに見舞われやすい地域で育ちました。幼いころ飢餓を経験したテルガトさんは国連WFPの学校給食こそが、後に最も偉大な長距離ランナーの一人となる才能を見い出す機会を与えてくれたと言います。 「17人の子どもがいる家庭で育ちました。基本的なもの、食べ物などを手に入れるのは大変でした。私が生まれた地域は岩の多い丘陵地で家族を支えるための小さな家畜を育てる以外農業はほとんどできませんでした。」ケニアオリンピック委員会の会長であり、長年にわたって国連WFPを支援してきたテルガトさんは子ども時代を振り返りました。
ストーリー | 04 3 月 2021 カンボジア:待ちに待った、給食の再開 国連WFPが給食を提供している小学校で料理長を務めるソモンさんは、夜中に目を覚まして小学校へ歩いて行きます。 午前3時30分に学校に到着すると、さっそく12kgの米を計量し、洗い、炊く作業に取りかかります。その後、野菜を切ったり、肉を調理したりして、スープや炒め物などの栄養価の高い食事を作ります。 「毎朝、料理を作るのが私の仕事です。たくさんのお米を炊きます。お米を炊いた後、他の料理を作ります」と言います。 ソモンさんは仕事に誇りを持ち、学校給食支援の明確な効果を実感しています。 「給食にはいろいろな種類の料理があります。バラエティに富んでいて、毎日変えていますから、子どもたちは良い栄養を摂ることができます。子どもたちの中には、家で食べるものよりも学校で食べるものの方がずっとおいしいと言う子もいます」とソモンさん。
出版物 | 15 2 月 2017 ワークショップ アクティビティ集 「食べる」から世界を考えよう 小学生から大人まで、ワークショップ形式のアクティビティを通して飢餓や国連WFPの支援活動について知り・考えることのできるワークショップを行うための(ファシリテーター用)教材です。以下よりダウンロードしてご活用ください。(PDF9.88MB)
ストーリー | 17 2 月 2021 シリア:安全を求めて。女性とその家族の絶え間ない模索 紛争が続くシリアで、欧州連合(EU)と国連WFPは、ウム・アリさんのような避難民の家族を支援しています。 この7年間、ウム・アリさんの人生は困難な選択の連続でした。夜中に紛争の轟音で目覚め、明日は自分の生活をすべてまとめ立ち去ることになるのだろうかと悩むこと。何を持って行って何を残すかを決めること。子どものための薬と、食卓に並べる食べ物の優先順位を考えること、などです。 彼女は国内で避難した670万人のシリア人の一人です。多くの人がそうであるように、彼女の最初の避難は最後の避難ではありませんでした。移動するたびに、彼女は自分と5人の子どもたちが安全に生活を再建できることを願っていました。彼女の子どもたちのうち3人は障がいを持っているため、彼女が避難を余儀なくされるたびに迫られる決断は、簡単なものではありませんでした。
ストーリー | 27 3 月 2017 ご寄付はこちらから。 この近年、エル・ニーニョ現象による干ばつにより深刻な食糧不安が続くエチオピア。不作や家畜の大量死により、人々の生活そして命が脅かされています。そしてここでも国連WFPを通じた日本の支援によって助けられている人々がいます。そんな日本からの「贈り物」で支えられている1人、エチオピア南部の小さな村で暮らすシェイク・アハマド・ロバさんをご紹介します。 「もしこの村に食糧支援が届かなければ、私はただ死を待つだけでした」国連WFPの配給所で、食糧袋を抱えながらそう語るのは、エチオピア南部オロミア州ホイツ・バスマ村のロバさんです。この村の長寿、(自称)136歳のロバさんは、長距離を歩いて食糧配給所にやってきました。 1984~85年のエチオピア大飢饉にも襲われたロバさんの住む山間の村は、過去数年にわたり深刻な干ばつに悩まされ、不作による食糧難が深刻化しています。
ストーリー | 04 4 月 2018 夕食とれずに眠る子どもたち 3年間の内戦で荒廃したイエメン。紛争で親の収入がなくなり、夕食を食べられないまま眠りにつく子どもたちがいます。貧困に加え、飢餓やコレラ、ジフテリアなどの感染症も二重、三重に彼らを苦しめています。 イエメンでは、人口2800万人のうち1800万人が食糧不足に陥っています。このうち800万人以上は飢きんのリスクが高まっており、食糧支援がなければ生命の危機にさらされる恐れがあります。 国連WFPは過去数年で、最も弱い立場の人々に対する支援を2倍に増やしてきました。深刻な飢きんを回避するため、国のあらゆる場所で時間との闘いを続けています。しかしイエメンの人々を写した写真は、この国がまだまだ危機を脱していないことを物語っています。 貧困と飢餓 「私は夜、帰宅しても子どもたちを起こしません。
ストーリー | 01 3 月 2018 緊急支援へのご寄付はこちらから。 2017年8月25日にミャンマー国内で起きた武力衝突をきっかけに、多くのロヒンギャ難民がバングラデシュに逃げ込んで半年が過ぎました。バングラデシュは3月ごろから雨期に入るため、ロヒンギャの人々が住む難民キャンプは土砂崩れや洪水の危険性が高まります。難民キャンプの支援に入り、1月末に帰国した日本人職員、濱井貢(はまい・みつぐ)は「橋が流され、キャンプへの食糧輸送が滞る恐れもある」と話しました。 濱井は昨年12月から約2か月間、バングラデシュ・コックスバザールの国連WFP事務所で、緊急支援物資の買い付けなどを担当しました。過去にケニアやマラウィなどで食糧調達の経験を積み、2016年の熊本地震でも、支援のため現地入りしています。 コックスバザール近くのクトゥパロン難民キャンプは昨年8月以降、約70万人のロヒンギャの人々が避難してきました。
ストーリー | 20 12 月 2017 ご寄付はこちらから。 スーダンは、数十年もの間、数々の内戦や紛争を経験しており、現在も西部のダルフール地域などで戦闘が続いています。また2013年末に南スーダンで始まった紛争以来40万以上もの難民が押し寄せています。更に、慢性的な貧困、自然災害、経済の悪化などにより、スーダンでは人口の46.5%が貧困層に属し、4人に1人が栄養不良に陥っています。そのような中、国連WFPはスーダン各地に計18事務所を構え、計1,155人の職員を擁し、緊急支援から復興支援まで、幅広く活動しています。 初めに訪れたのは、首都ハルツームから車で約6時間、南部の白ナイル州・コスティ。コスティには、国連WFPの食糧倉庫があり、ここから、スーダン国内各地に加え、陸路でのアクセスが困難な南スーダンで配布する食糧も運ばれて行きます。