シリア:安全を求めて。女性とその家族の絶え間ない模索
紛争が続くシリアで、欧州連合(EU)と国連WFPは、ウム・アリさんのような避難民の家族を支援しています。
この7年間、ウム・アリさんの人生は困難な選択の連続でした。夜中に紛争の轟音で目覚め、明日は自分の生活をすべてまとめ立ち去ることになるのだろうかと悩むこと。何を持って行って何を残すかを決めること。子どものための薬と、食卓に並べる食べ物の優先順位を考えること、などです。
彼女は国内で避難した670万人のシリア人の一人です。多くの人がそうであるように、彼女の最初の避難は最後の避難ではありませんでした。移動するたびに、彼女は自分と5人の子どもたちが安全に生活を再建できることを願っていました。彼女の子どもたちのうち3人は障がいを持っているため、彼女が避難を余儀なくされるたびに迫られる決断は、簡単なものではありませんでした。
紛争は、シリアをはじめ世界中で飢餓のおもな原因となっています。家族が安全を求めて移動するにつれ、彼らはますます弱い立場に追い込まれ、多くの場合、働き口を見つけるのにも苦労します。国連WFPは、9年以上にわたる紛争の中で、シリアの家族の命を救う支援を行ってきました。欧州連合からの支援により、ウム・アリさんのような家族が最も必要とする時に食料を入手できるようになっています。
移動の連続
ウム・アリさんの最大の危機は、2013年に夫が亡くなり、彼女が幼い家族の全責任を負うことになったときでした。「私の夫は農民でした…私たちは食料や様々な支出を賄う収入がなくなり、私たちの町は悲惨な無秩序に支配されました」と彼女は言います。
彼女は、姉が住んでいたダマスカスの地方部への移住を決意しました。「姉の近くにいれば、子どもたちを預けて農業の仕事に就けるかもしれないと思い、持ち物をすべてまとめて移動を始めました。」とウム・アリさんは語ります。
「しかし、またすぐに私たちは命からがらその地を去らなければなりませんでした。」彼女たちは、そこで発生した紛争により、着の身着のままで避難しました。
彼女の家族はダマスカス南部に到着し、そこで避難民のグループと出会いました。食料も避難所もありませんでしたが、地元のコミュニティは彼らにビニールシートを提供し、食料の入手方法を教えてくれました。ウム・アリさんは国連WFPの現地パートナーに紹介され、そこで登録を受け、支援を受け始めました。
「食料支援のおかげで私たち家族は飢えから救われました。」と、彼女は語ります。
5人の子どもの世話をしなければならない彼女は、子どもたちの薬や教育、家計に必要な費用を賄うために仕事を見つける必要があることに気付きました。この時再度、彼女の新しいコミュニティが支援の手を差し伸べました。
「私が3人の障がいを持つ子どもの世話をしていることを知っていたので、町のコミュニティリーダーが養鶏場での仕事を探してくれました。この時は、夫の死後、初めて笑顔で喜びの涙を流しました。」と、彼女は語ります。
不透明な未来に直面して
2020年の初めに、ウム・アリさんの人生は紛争から解放され、彼女の家族はシリア南部での新しい生活に落ち着きました。しかし紛争の脅威はなくなりましたが、今は新しい脅威に直面しています。
今日、シリア全土で食料品の価格が高騰しています。基本的な食事でさえ、これまでで最も高価なものになっています。同時に新型コロナウイルスの蔓延が始まり、全国の人々が職を失い始めました。今では贅沢品となった肉の価格は、2019年12月と比較して平均300パーセント上昇し、卵は400パーセント上昇しました。2020年前半には養鶏場の閉鎖が始まりました。
「シリア人の多くは肉を買う余裕がなく、人々が肉を買うのをやめると経済は止まり、私たちは仕事を失います」と彼女は説明します。「私はこれを非常に心配しています。」
ウム・アリさんのような家族にとって、食料支援がこれほど重要なものになったことはありません。紛争時や家族が危機に直面しているときに、国連WFPの食料があれば、家族がおなかを空かせて眠ることなく、明日の食事を確保することができます。毎月約500万人の人々が国連WFPからの支援を受けています。
EUからの資金援助が、この活動を可能にしています。国連WFPの広報担当者は、「シリアでの国連WFPの人命救助活動への継続的な支援に感謝します」と述べています。