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「世界人道の日(8月19日)」に寄せて~シリアの現場から

「世界人道の日(8月19日)」に寄せて~シリアの現場から
, WFP日本_レポート

シリアで活躍する国連WFPの運転手、べシェール。シリア人として母国の人々を助けたい一心で人道支援の仕事をするようになったそうです。そして、戦火の下、包囲され、支援が入れない状況にあった街に1年半ぶりに支援物資を届ける役目を与えられたべシェールは…。8月19日「世界人道の日」企画第2弾。過酷な状況下で人道支援を支えるべシェールのストーリーを紹介します。

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国連シリア事務所

ベシェール・ムラッド

私の毎朝の日課、それは、水、オイル、タイヤ、安全・保安器具を確認し、車全体をくまなくチェックすることです。それから上司より、当日の仕事の内容について指示を受けます。国連WFPのドライバーにとって、近距離、遠距離の移動を含め、一日700キロもの距離を走るのは日常茶飯事です。その途中で通行止めやその他さまざまな妨げにあたることもあり、運転手としてリスクの多い任務です。

2016年2月。国連WFPはダマスカス近郊のモアダミアという街まで、緊急に必要とされていた食糧などの支援物資を届けました。この街は包囲されて1年半以上、支援が入らず、閉じ込められた人々は雑草などを食べて命をつないでいました。街に入る支援団の一員として選ばれたときは、誇りと喜びで一杯でした。この街は、妻が生まれ育ち、紛争が始まる前、私と妻が3年間を過ごした街で、楽しい思い出がたくさん詰っているところでした。

モアダミアに到着と同時に、崩壊した建物の数々や空っぽな街を見て驚き、そして悲しみに包まれました。この街のすべては、まるで息が絶えてしまったようでした。

子どもの頃、会社の社長や経営者になることが夢でした。人道支援の仕事に携わることは想像すらしていませんでした。ただ、その気持ちはシリアでの戦争が始まると共に変わっていきました。当時30歳の私は、人道分野での仕事に就きたく、履歴書を配り歩いて1年、国連WFPにたどり着いたのです。ひとえに、人々を助けたい思いでした。 運転手という仕事柄、私は他の職員が入りづらい地域にも行くことができます。そのような地域では、現地の人々が何を食べているか、何を必要としているか、どのように食糧不足や高い物価に対応しているか等、食糧事情に関する情報を持ち帰り、同僚の仕事をサポートしています。

今最も願っていること、それは愛する母国のシリアが安全そして安泰を取り戻すことです。戦争が終わり、国内の状況が安定し、私たち全員がそれぞれの家に帰り平和な生活を送ることができるようになることを祈る思いです。

世界人道の日とは……2003年8月19日、イラクのバグダッドで国連事務所本部が爆破され、支援活動に従事していた22名が命を落としました。その死を悼み人道精神を受け継ぐために制定されたのが世界人道の日です。世界各地で起きている紛争や災害などで脅かされている人々に対する支援の輪を広げるとともに、困難な状況で支援活動に携わる人々に心を寄せるための日です。