傷跡を乗り越えて
2011年から、7年にわたり戦闘と混乱が続くシリア。国民の多くが避難生活を余儀なくされ、子どもたちは教育の機会を奪われています。
そんな中、爆撃で顔に傷を負い、学校に行けなくても自力で学び続ける難民の女の子がいます。彼女の視線は医師になるという夢へ、未来へと注がれています。
8歳で顔にやけど、爆撃で故郷を逃れる
15歳のシャディアが傷を負ったのは、内戦が始まったばかりの8歳の頃です。母親と一緒に台所で料理をしていたところを、爆撃に襲われました。
爆弾が家のすぐそばに落ち、家は大きく揺れました。揚げ物の油が鍋からこぼれ、私の顔と背中、両手にかかったのです」
小柄な少女は、重い口を開きました。痛みの記憶は紛争のトラウマとなって、今も残っています。
そして今年9月、イドリブ南部を襲った激しい戦闘によって、シャディアと家族は故郷を追われました。
よく晴れた暑い日の朝、多くの人びとが安全を求めて北へと向かいました。
シャディア一家はわずかな手荷物を抱え、人通りの多い道路を避けて舗装されていない泥だらけの道を4時間ほど歩き続けました。そしてやっとのことで、イドリブ北部にあるナハダ難民キャンプにたどり着きました。
持病との闘い、つらいキャンプ生活
避難以前から、シャディアは痛みと共に生きてきました。彼女はサラセミア、地中海貧血とも呼ばれる遺伝性の持病があり、毎月輸血を必要としています。しかし難民キャンプへ避難してから彼女は一度も輸血を受けられず、苦しい闘病生活を強いられています。
難民キャンプでの生活は、シャディアのような若い女の子にとって厳しいものです。
「ここはほこりっぽいばかりで、病院も、学校もない。何もないんです。住むところも他の家族と共同です。家に帰りたい。そして平和に暮らしたい」
「子どもたちを助けたい」通学できず家で勉強
戦争はシリアの多くの子どもたちから、教育を受ける機会を奪いました。シャディアの場合は持病も足かせとなり、何年も学校に通えずにいます。しかし彼女は、家で家族と一緒に勉強を続けています。
苦しい毎日の中でも、シャディアは大きな希望と夢を胸に抱いています。病気から回復して学校を卒業し、医者になることです。
「傷を負ったり、病気になった子どもたちを助けたいんです」
彼女はそう語りました。
トルコ・イドリブ周辺では、18歳未満の子どもたち約33万人が暮らしています。国連WFPは、トルコから国境を越えて毎月、イドリブやアレッポ郊外などに住む約60万人に食料を届け、子どもたちの夢と未来を支えようとしています。