ルワンダの学校給食の現状と未来
アフリカ内陸部の小さな国、ルワンダは、1994年に80万人以上が犠牲となる大虐殺が発生した悲しい歴史を持つ国です。その後四半世紀を経て、同国は「アフリカの奇跡」と言われるほどの発展を遂げており、現在はIT立国としても知られていますが、一方で、今でも人口の35%が栄養不足に陥っています。そんなルワンダに駐在していた下村理恵さんに子どもたちに栄養と未来を届ける「学校給食支援」について話を聞きました。
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ルワンダでは人口の20%が毎日の食料がなく、子どもたちの35%が慢性的な栄養不良で苦しんでおり、 国連WFPが提供する学校給食が一日で唯一の食事という子どもが多くいます。
国連WFPが実施する学校給食は、日々の食料と栄養改善のみならず、ジェンダーや栄養分野のトレーニングや意識向上のためのセッション、子ども達の栄養教育を目的にした菜園づくりも同時に実施しています。
ルワンダの全労働人口の58パーセントが農業セクターに従事しており、また、地方に住む人口のうち89パーセントが小規模農民であるとされています。国連WFPは地元で採れた新鮮な食材をより多く活用した学校給食の実施を目指しており、地域の安定した経済活動に貢献し、農民を鼓舞し、住民の栄養を強化することを目標としています。国連WFPはルワンダで個人の小規模農民、及び農業協同組合の能力強化に力を入れており、より栄養価が高く、より幅広い種類の作物の栽培を支援することにより、地域の農産物の付加価値向上とそれを活用した学校給食の提供を目指しています。そのために、現在は国連WFPはとうもろこしと豆を地域の農家から買い取っており、学校給食のメニューに組み込んでいますが、今後は新しい取り組みとして、国連WFPが現金を支援する学校に直接送金し、学校は地域で栽培された新鮮な食材を近くの市場で購入し、学校給食として提供してもらうことを計画しています。食材の例としては、アボカド、アマランサスの葉、牛乳などが含まれます。
コロナ禍での学校給食の現状
2020年3月16日に新型コロナウイルスの影響によりルワンダの全ての学校が閉鎖され、幼稚園、小学校、高校に通う350万人の子ども達が学校に通えなくなりました。特に、これは難民キャンプ内にある学校に通う隣国ブルンジとコンゴ民主共和国の子ども達の食料安全に多大な影響を与えました。これに対して国連WFPは子ども達が自宅に持ち帰り食べることのできる食料の配給を5月に行いました。
また、ルワンダ人の子ども向けの学校給食支援についても学校閉鎖の影響で停止に追い込まれました。しかし、国連WFPは学校閉鎖中も可能なかぎり子どもたちへの支援を継続するために学校の菜園の整備、遠隔での教師たちへトレーニングの提供、子ども達が家で読むための図書の貸し出し、学校給食用の調理室、トイレや手洗い場の建設を支援しています。2020年6月にはルワンダの教育省との協同で持ち帰り用食料の配布を実施しました。
11月2日から国連WFPが支援している学校は3月から7ヶ月以上の休校期間を経て、段階的に再開されました。小・中学校の難民の上級生は、国連WFPの支援を受けて給食を再開しています。
食べるものがない子どもの母親の立場だったら
これまで様々な国の給食支援を見てきましたが、いつも感じるのは、「食べることは生きることだ」ということです。私は二人の子どもの母親ですが、もし自分が子供たちの食事を学校給食に頼らなければならず、常に食料の心配をしている母親だったらどのように感じるだろう、また支援される側は支援する側にどのように接して欲しいだろうと考えることがあります。支援の現場では、目の前で起こることを自分ごととして考えることにより、より良い決断が下せるのかもしれません。
現在、国連WFPの支援する国々で生きる人々の多くは新型コロナウイルスによる影響で甚大な被害を受けており、国連WFPは過去最多の人々へ支援を届ける必要があると予想しています。我々国連WFP職員は、支援が必要な人々が少しでも安全で健康な生活を送り、希望を持ち続けられるように活動を続けています。国連WFPが今後も必要なところに支援が届く活動を続けることができますよう、皆様のご協力何卒よろしくお願い致します。
下村 理恵(しもむら まさえ)
国連WFP 日本事務所 政府連携担当官、副所長
上智大学比較文化学科、国際大学大学院国際関係学科卒業後、チェコにて専門調査員、UNHCRハンガリー事務所にてJPOとして勤務。2005年に国連WFPインドネシア事務所にてインドシナ地震支援調整を担当後、ジンバブエ、スーダン、東ティモール、ミャンマー、ルワンダ事務所プログラム全般に携わる。