【日本人職員に聞く】困難の中にある人びとへの支援を集める仕事を。挑戦し続けた国連WFPへの道
国連WFP東アフリカ地域局に勤務する富田絵理葉さんは、外務省が若手人材を海外に派遣するプログラム「JPO制度」でケニアに赴任し、日本人の夫と6歳の娘とともに暮らしています。
家族ぐるみでの赴任に至った経緯や、妊娠、出産を挟みながらも、諦めず国際支援の仕事に挑戦し続けられた原動力について聞きました。
働いて貯金、奨学金や訓練給付も活用し大学院へ
学生時代から「国連機関で人道支援の仕事に携わりたい」と考えていた富田さんは、米国の州立大で国際関係学部を卒業しました。国連機関への就職には通常、修士以上の学歴が求められます。しかし「大学卒業後は親に頼らず生活したい」と考え、働いて進学の資金を貯めることにしました。
就職の際も「報道の仕事を通じて、戦争や貧困などの困難に直面している人びとへの支援の輪を広げたい」と、民放テレビ局を選びます。記者やディレクターとして働きつつ、国内の社会人大学院でMBAを取得しました。
「授業はすべて英語だったので語学のブラッシュアップもできましたし、外資系企業に勤務する同級生から刺激を受け視野が広がったと同時に、一歩踏み出す勇気を得ました」
国立のため私立に比べて学費を抑えられること、政府の「教育訓練給付制度」の対象講座で、学費の半額が補助されることも、学校選びのポイントでした。富田さんは後にハーバード大大学院に進学する際も、奨学金を取得し費用負担を軽くしています。自力でお金を貯め、支援の道を志す若い世代に「まず学びたいという情熱を大切に。経済的な事情で進学には時間がかかるかもしれませんが、数年のスパンで目標を立て、奨学金なども活用すれば、道は必ず開けます」とアドバイスしました。
結婚、出産し転職。日本の勤務経験がケニアでも生きる
富田さんは大学院進学と同じ時期に結婚、ほどなく出産しました。生活が大きく変わり「自分の時間を100%、自分のためには使えなくなったことに気づきました」。
育児に勉強、そしてテレビ局での激務に追われる生活に、限界を感じるようになります。報道の仕事にやりがいもありましたが「直接、人道支援に関わりたい」という思いも強まりました。「藁にもすがる思い」で求人に応募し、最初はUNDP、その後国連WFP日本事務所で、現地採用の広報コンサルタントを務めました。
「テレビ局での経験が広報という仕事につながり、さらに広報を通じて日本の政府や企業に関わった経験が、今のパートナーシップの仕事にも役立っています。国内での勤務経験も、その後必要なスキルを身につけるのに重要だったと思います」
ただ、海外での勤務経験がない富田さんは、なかなかJPOの試験に合格できませんでした。このため2020年、米国の大学院で学びながらインターン経験なども積もうと考え、ハーバード大大学院に進学します。コロナ禍のため日本でオンライン授業を受ける形となりましたが、同時に受験していたJPO試験に「4度目の正直」で合格。翌年1月、大学院に籍を置きながらケニアに赴任しました。
ちなみに2022年5月、同大では院修了者を招いた卒業式が行われ、富田さんは初めてハーバードの土を踏みました。渡航費は大学が全額負担したとのことで「現地の学生、教授たちも、コロナ禍での苦しさや悔しさを跳ね返すかのような熱気に溢れていました」。
日本での経験も無駄にならなかったとはいえ、富田さんは国連機関を目指すなら「やはり、早い時期に海外での勤務経験を積めた方がいい」と勧めます。また「国連機関にいる先輩の話を聞くことも、とても役立ちます。先輩にコンタクトを取るのは勇気がいりますが、手を差し伸べてくれる人は必ずいます」とも話しました。
食を通じて女性をエンパワーメント
富田さんはJPOの派遣先に、数ある国連機関の中から国連WFPを選びました。
「誰でも空腹ならイライラするし、けんかっ早くもなります。人びとのお腹を満たすことが平和につながるという理屈は、自分自身に引き寄せて考えても、納得がいきました」
食を通じて、さまざまな課題にアプローチできる点にも魅力を感じたといいます。富田さんは女性のエンパワーメントにも強い関心がありますが「ほとんどの国で、家庭の献立を考えるのは主に女性たち。食は女性が強みを持つ分野だ」と考えたのです。さらに学校給食支援を通じて女子の就学率を高めることで、経済的自立や社会的地位の向上にも貢献できます。小規模農家の女性たちを支援することは、気候変動などに強い持続的なコミュニティづくりにもつながります。
「国連WFPなら、食を通じて女性や子どもをエンパワーメントし、引いてはコミュニティ全体を支援できると思いました」
今後は各国の現地事務所で、支援を受ける人びとにより近く関わりたいと思う一方、パートナーシップの仕事で、知見を深めたいとも考えるようになりました。
「国連WFP東アフリカ地域は現在、政府支援の6~7割を米国に依存しています。より多くの国や民間企業に、干ばつの実態や食料支援の必要性を伝え、支援に参加してもらいたいのです。また他の国連機関などとの協働も進め、誰も取り残さない支援を実現したいです」
「家族は共に」夫は仕事辞め同行
JPOに合格した当時はコロナ禍だったこともあり、富田さんは単身赴任することも考えました。しかし次第に、家族と離れて暮らすことを耐えがたく感じるようになります。何度も挑戦してようやくつかんだ希望の仕事ではあるけれど、家族といられない人生は、幸せと言えるだろうか?という疑問もわきました。
一方、富田さんの夫は、妻が結婚当初から「いずれは国連機関で働きたい」と言い続け、毎年JPOを受験する姿を見て、国際支援にかける思いの強さを理解していました。夫婦で話し合った結果「長い人生の数年間、夫婦どちらかのキャリアに空白の時間ができるとしても、家族で暮らしたほうがいい」という結論に達したのです。「キャリアと家族を分けて考えるのではなく、すべてまとめて私の人生という一つの流れの中で、何が必要か考えられるようになった」と振り返りました。
夫は仕事を辞めて同行し、現地の語学学校に通いました。「全くの無職になるのは、ストレスだったろうと思います」と、富田さんは推測します。ただナイロビ在住の日本人の中には、JPOで派遣される妻に同行した夫が他にも数人おり、彼らと交流することで、孤独感がだいぶ薄れたようだといいます。最近はリモートで日本から仕事も請け負うようになりました。
6歳の娘は、インターナショナルスクールに通っています。「英語ができず最初はつらい思いもしたようですが、アフリカ出身の同級生にも英語を話せない子がいますし、それぞれ違って当たり前だ、という認識が強いように感じます。このため、差別的な扱いを受けることはありません」
父親は在宅ワークが多く、母親の富田さんも、在宅ワークとオフィスなどでの勤務を組み合わせて働くようになりました。娘は「家族で一緒にいられる時間が長くなった」と、日本にいる時より幸せそうだともいいます。
富田さんが「家族で来てよかった」と思う一番の理由が、日々雄大な自然や動物たちに触れられること。
「ケニアでは自然に癒され、地球に生かされていると感じます。開発とは、道路やビルのようなインフラを整備することだけではありません。緑や農村を生かした持続可能な国をつくる、お手伝いができればと思います」
富田 絵理葉さん
国連世界食糧計画(WFP)東アフリカ地域局パートナーシップオフィサー
米州立大を卒業後、日本のテレビ局に就職し報道記者などを務める。勤務の傍ら筑波大大学院を修了。その後国連開発計画(UNDP)駐日事務所、国連WFP日本事務所で広報担当を務め、2021年、ハーバード大で国際教育政策修士を修了。2021年1月、外務省が若手人材を国連機関に送り込むJPO制度を通じて、国連WFP東アフリカ地域局に赴任。