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【日本人職員に聞く】「援助を受けとる」から「自分たちがつくり出す」給食へ。 地産地消の給食が、コミュニティの力を引き出す

国連WFP 前ネパール事務所 プログラム統括 前川直樹さん(前編)

2016~2021年までプログラム統括として国連WFPネパール事務所に赴任していた前川直樹さん。

在任中は学校給食の地産地消プロジェクトの中で、給食が豊かになっただけでなく、コミュニティの人びとの意識が大きく変わったのが印象的だったと振り返ります。

前川さんへのインタビュー1回目は、地産地消の給食が、住民にもたらす変化について聞きました。

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Photo: WFP/RabindraKhadka

山道を2~3時間、歩いて学校に通う子どもたち

前川さんはネパールに赴任するとまず、国の多様性に驚かされたといいます。

「100以上の民族が共存することに加え、夏の気温が45~50度に上る熱帯もあればエベレストのような高峰もあって、気候や景観も実に多彩です」

 

国連WFP協会親善大使でもある登山家の三浦雄一郎さんや、同じく登山家の田部井淳子さんが有名で、日本に住むネパール人が増えているため、親日家も多いそうです。

国民は総じて、まじめで勤勉。特に女性たちが非常によく働く姿に、圧倒されたといいます。

「山がちな国土、厳しい気候の中で日々の食料を得るには、10円でも20円でも稼がなければ、という危機感があるのでしょう。30キロはありそうな大きなかごを頭に載せ、山道を歩く女性たちの姿は、感動的ですらありました」

 

鉄道や高速道路などの交通インフラが整っていないため、住民はバスで20時間以上かけて国内を移動することもしばしばです。

子どもたちも、山道を2~3時間歩いて登校するのは日常茶飯事。「昼食のために一度帰宅したら、午後の授業に再登校するのはまず無理です」と、前川さん。

 

こうした事情を踏まえ、国連WFPは1996年に学校給食支援を開始して以来、継続的な協力の結果、2020年のコロナ禍の下で、政府が学校給食予算を大幅に増額し、政府と国連WFPが役割分担することによって、77県すべてで初等教育段階(日本の幼稚園~小学校5年生に相当)の子どもたちに、給食が提供できるようになりました。

Photo: WFP/SrawanShrestha
Photo: WFP/SrawanShrestha

 

チャーハンにゆで卵、地産地消で献立が多様化

ネパールの給食は長い間、海外から援助された大豆とトウモロコシの粉を原料とする栄養補助食品が提供されていました。それが2017年、豆のカレーと、ビタミンAや鉄分などを加えた栄養強化米のご飯に変わり、同じ年には一部地域で、地産地消の学校給食が試験的に導入されました。

この画期的なプロジェクトの成功の裏には、日本の皆さまから国連WFP協会へお寄せいただいた、継続的なご寄付が大きく関わっています。

 

地産地消給食プロジェクトでは農家や母親たちの協力を得て、地元でとれた季節の食材を使ったカレーや、たんぱく質豊富なゆで卵、そば粉やひえ、粟を使ったパンなど、多様な気候風土の地域の実情に沿って政府予算の範囲内で調達できる10種類のメニューが開発されました。

チャーハンやポップコーンといった、変わり種の献立も取り入れられ「子どもたちに大人気」(前川さん)だとか。

 

「それまで子どもたちは『栄養がある』と言われるままに、毎日同じものを食べていました。それが今は毎日違う献立で、他の国でも例のない多様な給食を食べられるようになりました。地元の農産物を農協を通して買い上げることで、零細農家も潤っています」

粟やひえ、そばなど、コメが普及する以前の主食だった伝統食材が、給食によって改めて見直されるという、思わぬ効果もありました。

 

親や農家がプライドを持つ 教育への関心も高まった

前川さんは、プロジェクトの現場へ何度も足を運ぶうちに、親や住民の意識が変わっていくことにも気づきました。

それまで親は、給食はおろか教育全般への関心が低く、学校に足を運ぶこともまれでした。

しかし地産地消に変わると、親は日々、給食の献立作りに食材選び、食材調達のための農協との交渉、調理などに携わるようになります。地元の零細農家も生産者として、給食に関わります。

 

「そのうちお母さんたちは、あちこちで給食のメニューの試作に参加してくれるようになりました。農家の人たちも、自分が作った作物が給食に使われ、子どもたちの成長を支えているのだ、というプライドを持つようになったのです」

こうして、支援に対して「受け身」だったコミュニティが「給食は自分たちでつくりだすのだ」という意識を強めていきました。

 

「最初は『仕事が増えた』とぼやいていた先生たちも、子どもたちが給食を喜んで食べる姿を見て、「食」の大切さを認識してくれるようになりました。

何よりうれしかったのは、親が学校給食に関わる中で、我が子の教育に関心を持ち、参加するようになったことです」

Photo: WFP/SrawanShrestha
Photo: WFP/SrawanShrestha

ネパールの子どもたちにも、給食の楽しい思い出を

ネパールの家庭の多くは、父親が海外に出稼ぎに出て、家計を支えています。貧しさのため家で満足に食べられず、給食がその日唯一の食事だという子どもたちもいます。

地産地消の給食を通じて地元が潤えば、子どもたちの家庭にも、より多くの収入をもたらす道が拓けます。

 

さらに前川さんは「たとえば、初等教育の学校、約3万校に1人ずつ調理員を雇えば、3万人分の雇用が生まれ、父親が出稼ぎに行かずに地元で働く道も開けるのでは」と期待します。

現在、調理員の大半は無償のボランティアですが、一部の自治体やコミュニティでは、少額ながら予算を確保し、調理員に給与を渡す取り組みが始まっているそうです。

 

何ものにも代えがたいのは、みんなで楽しく給食を食べる経験だと、前川さん。

「私も含めて、ほとんどの日本人は給食にまつわる楽しい思い出を持っているでしょう。こうした思い出は、お金には代えられない人生の宝ではないでしょうか。

ネパールの子どもたちにも同じように、友だちと楽しく給食を食べて学校で学んだ、という記憶を持ってほしいのです」

 

ネパールは2024年までに、国連WFPが最後の6県で担っている学校給食事業を、すべて政府に移管する「支援からの卒業」が近づいています。

 

インタビュー2回目は、25年間の学校給食支援によって、ネパールの社会に起きた変化や、「卒業」に当たっての課題などを聞きます。

 

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