Skip to main content

アフガニスタン : 国連WFPは活動を続けます ― 飢えに対する要塞のように

国連WFPのヘラート事務所の責任者が、街が陥落した日についてとなぜ留まることにしたのかを語ります。
, Qadir Assemy

ヘラートは私の街です。私の家族と私が故郷と呼ぶ場所です。詩、文学、芸術、音楽で有名なアフガニスタンの文化の中心地です。また、ヘラートの要塞 (qala iktyaruddin)があり、この城塞はアレキサンダー大王の城塞の一つであったと考える人もいます。

 

ヘラートは古都であり、過去に戦争を経験しています。しかし、このような形で戦争が再発するとは想像もできませんでした。

 

7月初旬から戦闘が予想以上に加速し、前線がどんどんこちらに近づいてきました。8月初旬には、戦闘が街を包囲してしまいました。市外への道路はすべて封鎖され、飛行機もほとんどがキャンセルされました。

 

窓の外で戦闘が繰り広げられると、機関銃や時には大砲の音が聞こえてきました。あまりにも早く、劇的な変化だったので、私たちは皆ショックを受けました。友人や親戚は避難しようとしていました。私の子どもたちは怯えながら私のところに来て、こう言ったのです。「お父さん、アイーシャとその家族が逃げたよ」そして、その数分後には、「ラサとその家族が出て行ったよ、お父さん 」と。私は子どもたちに「大丈夫だよ」としか言えませんでした。

 

2021年は、すでに非常に困難な年としてスタートしていました。すでに人口の半分が人道的支援を必要としています。そして、最悪の事態はまだ続くかもしれません。

shepherds and sheep in Afghanistan
国全体で1,400万人が食料不安に陥っている。Photo: WFP/Andrew Quilty

玄関先で戦争が起こっても、私たちの日常は変わりませんでした。ある同僚は、「私たちが普段通りと呼んでいることは、ほとんどの人にとっては信じられないことなんだよ」と冗談を言ったことがあります。その通りでした。私たちは、おそらく世界で最も困難な状況の中で仕事をすることに慣れています。戦争、干ばつ、洪水、そして最近では新型コロナウィルスのパンデミックなど、私たちは日々、このような状況に直面しています。険しい山の地形に沿って、私たちの食料輸送隊は、雨の日も晴れの日も常に移動しています。

 

街の周辺で戦闘が発生したとき、留まるという決断は難しいものでした。しかし、私と同僚のグループにとっては、それはとても意味のあることでした。私たちにとって、今この国での最大の戦いは飢餓との戦いです。何百万人もの人びとが国連WFPの食料に頼って生きており、今は彼らが私たちを最も必要としている時なのです。あと数週間で冬が到来し、そのときには国連WFPの食料の在庫は尽きてしまいます。雪で道路が寸断される前に、食料を国内に運び、コミュニティに届けることができなければ、状況は壊滅的なものになってしまいます。

 

8月12日、ついにヘラートが陥落し、その3日後にはカブールも陥落しました。

trucks on the road
国連WFPのトラックは、支援物資を届け続けています。Photo: WFP

ここでは、状況がやや落ち着き、いつもの日常に戻れる日もあります。いつも通りの仕事に戻りつつあります。しかし、別の嵐が迫っているのではないかと思うこともあります。

 

ヘラートはまたしてもその長い歴史に新たな章を加えることになりました。その道のりは未知であり、不透明です。しかし、ヘラートの城塞のように、国連WFPは飢餓に対する要塞として現場に留まり続けます。私たちは、アフガニスタンの人びとが必要としている限り、彼らと共にあります。

 

国連WFPのアフガニスタンでの活動についてはこちらをご覧ください。

You can help families in Afghanistan

WFP relies exclusively on voluntary contributions, so every donation counts
Donate now