「生き続けたい」人道危機が広がるエチオピアにおける、ある母親の話
3月下旬のある土曜日の朝9時、7人の子の母であるアスターさんが、キッチンコンロから目を向けると、寝室が火に包まれているのを目にしました。彼女は、その後起こったことをあまり覚えていません。ただ覚えているのは、18年間住んだ自宅が火に包まれ、煙が立ち上る光景だけです。
全ての母親と同じように、アスターさんがまず心配したのは、子どもたちのことでした。「子どもたちに逃げるよう言いました。私たちもすぐに走り出しました。振り返った際に目にした光景は信じられないものでした。私たちの家が焼き崩れていたのです。」とアスターさんは思い起こします。7人の子どものうち3人は、難を逃れるために50キロ離れたシレ村に向けて走りました。それ以来、この3人の子どもたちと会えずにいます。
2か月後にアスターさんと会った時、彼女は18年間住んだ自宅に唯一残っていた黒灰にまみれた大きな瓦礫の上に座っていました。「逃げ延びた後も焼け崩れる自宅の悪夢を見るようになり、焼失前の家屋の光景を突然フラッシュバックとして思い起こすことがありました」とエスターさんは言います。
手元に残っているのは、照りつける太陽の光を反射するティー・スプーンのみです。このスプーンは、あまりに多くのものを失った残酷な経験を思い起こさせます。彼女の家屋や作物は焼き払われ、家畜として飼っていた牛やヤギも略奪されました。
「子どもたちがいないため、気持ちは恐怖と悲しみでいっぱいです。子どもたちは散り散りになって、長い間家を離れているので、行方も分かりません。」とアスターさんは嘆いています。昨年11月に激しい紛争が起こる前は、丘陵地帯に位置するアディ・ミレン村の様子は全く異なっていました。
「私たちは豊かでした。食料は豊富にあり、これを自ら食べる事も市場で売る事もできました。私たちの家には4つも部屋がありましたが、今は燃えかすしか残っておりません。「彼ら」がいつ戻って来てもおかしくないという恐怖も常に頭の中にあります。昔のように安心して眠ることが出来なくなりました。」とアスターさんは言います。
エチオピア北部に位置するティグライ州の北西部を横断する丘陵地帯にアディ・ミレン村はあります。エチオピア原産のテフ(イネ科の穀物)、ゴマ、麦や粟を生産して食べるこの農村地帯は、5月から9月まで続くメヘルと呼ばれる種まき期の真っ最中です。
アスターさんの粟やテフ畑は焼き払われてしましいました。アスターさんと夫は、今は収入を得る手段がないため、再び穀物を育てるための種や肥料を購入することが出来ません。数えきれない人たちが同様の困難に直面しており、攻撃や殺害の危険性を恐れ田畑に出ない人もいます。今期の農作機会が失われたことが徐々に明らかになるにつれ、数百万人のティグライの人を食料危機の悲劇が襲います。
アスターさんの家族の様に、ティグライ州の北部、中部や西部の端々に住んでいる家族が、最も飢きんの危機に瀕しています。国連WFPはで先月到着し、アディ・ミレン村の村民4500人に麦、食用油や豆類といった来月分の食料を4台のトラックを使って届けました。
ボランティアの人々が50キロの食料支援袋をトラックの荷台から下ろすと、村は少しずつ活気を取り戻しました。これらの支援食料は、ロバやらくだや荷車に積まれていきます。女性は色鮮やかな日傘やヘッドスカーフの下で談笑し、男性は固く握手を交わし合い、また隣人同士が安全な場所での再会を果たしています。
「これまでは隣人から譲り受けるわずかな食料に頼っていました。しかし少なくとも今は、これまでわたちたちを苦しめてきた空腹から開放されました。」とアスターさんは言います。彼女はまた、「遠方に位置し、多くの町や市場から遮断されたアディ・ミレン村に国連WFPが食料を運んで来てくれたことを嬉しく思います」と言いました。
アスターさんと2人の息子は、隣人のロバと荷車を一日借り、国連WFPの食料支援の袋を五つ積んで、丘の上に運びます。
最新のデータによると、食料支援や生活支援を増やし、人道支援従事者が全ての地域へアクセスできるようにし、また重要な点として、紛争が停止されなければ、飢きんの危険は更に高まると言われています。ティグライ州に住む35万人の人々は、「総合的食料安全保障レベル分類」(IPC)のフェーズ5(カタストロフィー)、つまり壊滅的な飢餓状況にあると指摘されています。
現在の紛争が始まる前から、ティグライ州の一部では、その農業生産の潜在性の高さにも関わらず、およそ160万人が既に食料支援に頼っており、飢餓の危機に直面していました。頻発する悪天候、サバクトビバッタやインフレの進行により、大多数の家族は大きな負担を強いられていました。今回、収穫最盛期に紛争が発生したことにより、雇用と収入が奪われ、市場、現金及び燃料の入手が困難となりました。
国連WFPは180名以上のスタッフを現地に派遣して食料支援活動を立ち上げ、麦、えんどう豆や植物油を140万人に、緊急配給を35万5000人の女性と子どもに届けました。しかしながら、当機関は、目標である210万人への食料支援を実現するには、まだ遠い状況です。残された時間はわずかです。国連WFPと人道支援パートナーが完全で妨げられない人道的アクセスを今すぐ確立することが不可欠です。飢きんが宣言された時には、既に手遅れなのです。
アスターさんは、逃げ延びた3人の子どもたちと再会出来ることを、切に願っています。夫と息子たちは、自宅を立て直すために石材を探し始めました。家族全員が、平和が訪れることによって、眠れない夜に終止符が打たれることを願っています。その時までは、「生き続けなくてはいけません。今はそれだけです。」とアスターさんは言います。
国連WFPは、緊急支援の呼びかけに応じたカナダ、ドイツ、日本、韓国、ルクセンブルク、ノルウェー、英国及び米国による資金援助に感謝の意を表します。当機関は、エチオピアにおいて、210万人以上の人々が直面する深刻な栄養危機に対応するために、更に2億3百万米ドルの支援を必要としています。