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知花くららさん、フィリピン洪水被害地を視察 知花さんのコメント

知花くららさん、フィリピン洪水被害地を視察 知花さんのコメント
, WFP日本_レポート

フィリピンは去年、台風16号(現地名「オンドイ」)、17号(現地名「ペペン」)など大型台風の直撃を相次いで受け、過去40年で最悪の記録的豪雨に見舞われました。台風襲来から2ヵ月半がたった12月、WFPオフィシャルサポーターの知花くららさんが被災地を訪問しました。知花さんのコメントと視察のレポートをお届けします。

<知花くららさんのコメント>

現状は想像以上に酷いものでした。汚水を媒介した感染症で足がただれてしまった男の子、洪水で家が流された家族。台風16号(オンドイ)のニュースから数ヶ月経った今も、人々が苦しんでいます。"It's not over yet."そう実感すると同時に、今まで現実を知らずにいた自分が恥ずかしくなりました。

人々の復興への活力、笑顔が1日も早く見たくて、こういう場をお借りして皆様にお伝えすることが今の私にできることと考えています。皆様がフィリピンの現状にご関心を寄せて下されば幸いです。

知花くらら

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©M.Kuroyanagi

フィリピンは去年、台風16号(現地名「オンドイ」)、17号(現地名「ペペン」)など大型台風の直撃を相次いで受け、過去40年で最悪の記録的豪雨に見舞われました。最も被害が大きかった地域では水位が6メートルにまで上昇し、洪水や土砂崩れが発生、大きな爪痕を残しました。台風襲来から2ヵ月半がたった12月、WFPオフィシャルサポーターの知花くららさんが被災地を訪問しました。

最初に訪れたのは、首都マニラから車で5時間ほど北上したところにある、ザンバレス州ボトラン。ここは、1991年に大噴火したピナツボ山のふもとにあり、当時から大量の火山灰が堆積していました。そこに去年8月から、6つの台風が相次いで襲来。雨は大量の火山灰と混ざり合い泥流となって押し寄せ、川は氾濫、堤防は決壊し、家は流され、農地も泥流が流れ込み不毛と化しました。

泥流に襲われた村を訪ねてみると、そこはまるでゴーストタウンでした。村全体が、まるで砂浜のように、乾いた砂状の火山灰に覆われています。家は形がひしゃげ、2階部分まで火山灰に埋まり、道は水没し川となっていました。

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屋根が飛ばされ、泥流で埋まってしまった家屋 ©M.Kuroyanagi
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かつて道路だったところは泥流の川に ©M.Kuroyanagi

家を捨て、命からがら逃げた人々は、地元行政が用意した避難所に身を寄せていました。テントの支給を受けた人はまだ恵まれている方で、多くの人はだだっ広い建物の中に布一枚でスペースを仕切り、コンクリートの床に紙を敷いて寝ていました。主要産業は農業ですが、農地にも泥流が流れ込んだため、人々は生計の手段を失い、途方に暮れていました。

WFPは、そんな人々に対し、緊急支援として、高カロリービスケットや魚缶、コメ、植物油を配給しています。支援を受けている被災者の一人、マリー・ディアゴ(32才)さんは11月にテント内でジェイアン君という男の子を出産しました。マリーさんはジェイアン君を「テント・ボーイ」という愛称で呼び、慈しんでいます。「WFPから食べ物の配給を受けられるから、ちゃんと母乳も出ています。子どもが元気に成長してくれてほっとしています」とマリーさんは語っていました。

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ジェイアン君を抱くマリーさん ©M.Kuroyanagi

次に訪ねたのは、マニラ近郊の街、リサール州タイタイ。ここはゴミ堆積地だったところに貧しい人々が不法に家を構え、住むようになった街です。ゴミ拾いをしながら生計を立てるなど、元々貧しい人々が住むこの街を、去年、台風による記録的豪雨が襲い、街の6割以上が冠水。人々は、大雨で水位が膝から胸へ、首へとどんどん上昇する中、取るものも取りあえず、屋根伝いに避難したそうです。濁流に呑まれ水死した人、切れた電線に触れて感電死した人なども多くいました。

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©M.Kuroyanagi

訪問時には、洪水から2ヶ月たったにも関わらず、まだ水が引かない場所も多く残り、冠水した道路を、人々が膝まで水につかりながらサンダルで往来していました。「この子の脚を見てくれ」と、幼児を抱いたお母さんが訴えるので見ると、脚全体が、カビが生えたようにひどくかぶれ、とても痛がっています。元々ゴミ堆積場だったので、たまった水に有害物質が染み出したり菌が繁殖したりし、多くの人にこのような症状が出ているということでした。汚水がたまったタイタイの街からは、きらきらとそびえたつマニラの高層ビル群がはっきりと見え、貧富の格差を感じさせられました。

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©M.Kuroyanagi

もともと貧しい人が、持っていたわずかな財産や生活手段を失うと、そこから立ち直るのは容易ではありません。WFPはこの街で、住居や家財を失った人々や、稼ぎ手だった家族を失いさらなる貧困に陥った人々を地元行政と共に特定し、計9千人を対象にコメなどの食糧を配給していました。

日本にも毎年、いくつもの台風がやってきますが、同じ台風でも、家や道路、堤防などの構造物がもともと脆弱なつくりの途上国の貧困地域では、被害は数十倍にも大きなものになります。また、被害は大水による建物や構造物の損壊に留まらず、衛生状況の悪化や疾病の蔓延、さらなる貧困を招き、台風が過ぎ去った後も深い爪痕を残すのです。

WFPはフィリピンの台風被災者150万人に、今年の6月まで食糧支援を行う予定です。訪問時には、すべてを失った人びとの命を救うため、支援対象者に選ばれた被災者にとりあえずに無条件に食糧を配る「緊急食糧支援」を行っていましたが、今後は、被災者の自立を支援する「復興支援」に移行していく予定です。具体的には、フィリピン政府や他の支援機関と連携し、農地や家などの生活基盤の修復や再建設などの公共工事を計画し、その工事に参加し働くことを条件に食糧を配給する(いわば、工事で働いた分の給料代わりに食糧を配給する)、というプロジェクトを実施していきます。こうすることで、人々が食糧支援に依存することを防ぐと共に、生活基盤の再建を行い、自立を支援していくのです。

この支援計画にはおよそ50億円が必要とされていますが、必要額のおよそ半分ほどしか集まっていないのが現状です。1日およそ40円あれば、被災者一人の一日分の食糧をまかなうことができます。知花さんは「台風が過ぎ去って数ヶ月がたっても、生活は元に戻っていない。人々が元の生活に戻っていく姿を見たいです。」と話し、被災者への支援を呼びかけています。

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©M.Kuroyanagi