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冬の寒さと戦争がウクライナを襲う中、最前線に暮らす家族が生きる糧を見つける

絶え間ない砲撃の下で暮らすコミュニティは、厳しい季節を乗り切るために国連WFPの食料支援に頼っています。
, Anna Andrusenko
最前線のヴェセリアンカ村の自宅に戻ったアラさん。彼女と夫が生きるために必要な30日分の食料配給ボックスを受け取ります。Photo: WFP/Anna Andrusenko
最前線のヴェセリアンカ村の自宅に戻ったアラさん。彼女と夫が生きるために必要な30日分の食料配給ボックスを受け取ります。Photo: WFP/Anna Andrusenko

ウクライナ南東部ザポリージャ地方のヴェセリアンカ村の寒く陰鬱なある日、WFP国連世界食糧計画(国連WFP)が毎月食料支援を行っている配給所に、数十人の村人が集まっています。ポケットに手を入れて暖をとりながら村人たちがおしゃべりをする中、風のない張り詰めた冷気を切り裂くように遠くから砲弾の着弾音が響いてきます。

少し前まで、ヴェセリアンカ村には1,000人近くが住んでおり、その多くはこの地域の豊かな黒土でヒマワリや小麦、ナタネを収穫していました。しかし、2022年3月に戦闘が郊外にまで及び、戦禍がますます拡大すると、住民の半数近くが難を逃れるためこの地から立ち退きました。

「私たちの土地は耕作の準備ができていましたが、もはやここにはとどまることができませんでした。家が風や寒さから全くもって無防備だったのです」

ウクライナでは、多くの人が激しい戦闘地域の近くに住み続けています。夫とヴェセリアンカ村に住むアラさんは言います。「故郷のような場所はありません」

彼らは自分の土地や家に愛着を持ち、あるいは長期にわたる移住生活の恐れから、信じられないような危険にもかかわらず、村にとどまり続けています。また、移住中に生活の糧を得るための選択肢がなくなり、農場やかつての職場に戻ることを余儀なくされる人もいます。

EUやその他の支援者からのサポートを受けて、国連WFPはウクライナ全土のこのような家庭やその他の人びとへの支援を強化し、この冬は毎月240万人に食料や現金の支援を行う予定です。しかし、国連WFPのウクライナでの活動資金は必要額のわずか54%にすぎず、今後6か月間に1億8,000万米ドルの追加資金が必要です。

食料不安が特に高い最前線地域に暮らすウクライナ人向けに国連WFPの焼きたてパンを配る準備をする女性たち。 Photo: WFP/Anastasiia Honcharuk
食料不安が特に高い最前線地域に暮らすウクライナ人向けに国連WFPの焼きたてパンを配る準備をする女性たち。 Photo: WFP/Anastasiia Honcharuk

食料配給は、30日分の各種主食を混ぜた配給ボックスか、焼きたてパンと缶詰の配給ボックスのどちらかで、ヴェセリアンカ村のような前線に近い地域に集中的に配給されます。この1月だけで50万人以上がこのような配給を受けました。

この支援は切実に必要とされています。ウクライナでは、戦争によって生産とサプライチェーンが寸断され続け、東部や南部の多くの地域で食料へのアクセスが不安定になっています。ウクライナ人の約5人に1人が食料不安に陥っており、最前線に近い人びとは特に悲惨な状況に直面しています。

「3~4日間電気が使えず、砲撃音が絶え間なく聞こえていたこともありました。子どもや孫のことしか考えられませんでした」と、アラさんは言います。

「ウクライナでの人びとの生活は悪化し続けています。戦争は衰えることなく続いており、民間人居住区への攻撃はここ数週間で激しさを増しています。インフラへの被害は続き、民間人の死傷者はますます増えています」と話すのは、マリアンヌ・ウォード国連WFPウクライナ事務所臨時代表です。

「最前線の近くに暮らす人びとは最悪の事態に直面しており、彼らは生計を立てるために人道機関の継続的な支援を頼りにしています」と、ウォード臨時代表は付け加えます。

最前線に暮らす家族

戦争が始まって間もない頃、アラさんと彼女の夫はここにとどまるつもりでしたが、やがてヴェセリアンカ村からの退避を考えるようになりました。彼らの決断を早めたのは、ミサイルが庭に着弾し、実家の窓と屋根が破壊され、家を追われたときでした。

「私たちは絶望の淵にいました」彼女は涙を浮かべながら語ります。「私たちの土地は耕作が可能な状態でしたが、もうここにいることができませんでした。家が風や寒さから全くもって無防備だったのです」

二人はしばらくの間、娘の家に滞在しましたが、数週間の滞在の後、自宅に戻ってしまいました。

「あまり長く離れていることに耐えられなかったのです」とアラさんは言います。

ウクライナ南部ミコライフ地方の破壊された家屋。ウクライナ全土で、多くの人びとが戦闘の激しい地域の近くで暮らし続けています。Photo: WFP/Anastasiia Honcharuk
ウクライナ南部ミコライフ地方の破壊された家屋。ウクライナ全土で、多くの人びとが戦闘の激しい地域の近くで暮らし続けています。Photo: WFP/Anastasiia Honcharuk

紛争が3年目を迎えようとしている今、アラさんとその隣人たちにとって、爆撃音は背景音のひとつになっています。彼らは最前線での生活に適応し、仮設のシェルターに水、軽食、暖かい衣類などを備蓄しています。

昨年の冬は特に厳しく、氷点下の気温、度重なる停電、暖房費の高騰などが人びとを苦しめました。近くの店のほとんどは棚が空でした。それでもヴェセリアンカの人びとは最善を尽くして備え、耐えました。

「3、4日間、電気がなかった時もありました」とアラさんは振り返ります。「砲撃は絶えず聞こえました。私は自分の子どもや孫のことしか考えていませんでした。毎日電話して娘たちの安全を確認しました」

再び厳しい冬

戦争が始まって3度目の冬を迎え、物価が上昇し続ける中、アラさんのような家族は食料費、暖房費、家の修繕費用を賄うのに苦労しています。国連WFPなどの人道支援は、そのギャップを埋めるのに役立っています。

ドネツクで行われた国連WFPの食料配給。 Photo: WFP/Anna Andrusenko
ドネツクで行われた国連WFPの食料配給。 Photo: WFP/Anna Andrusenko

「物価は常に上昇しています。私たちの唯一の収入は2つの年金だけです。これでどうして、すべてを賄う余裕があるのでしょうか?」とアラさんは言います。

缶詰の豆や肉、パスタ、小麦粉、ひまわり油、そば粉、砂糖、塩などの主食からなる国連WFPの配給ボックスは、彼女をはじめ、最前線で暮らす多くの人びとにとって、特に一人暮らしの高齢者にとっては救いの手となっています。

「缶詰の肉とシリアル、これが私たちのベースです」とアラさんは言います。「少なくとも、私たちは食べ物の心配をする必要はないのです」

朝、彼女は国連WFPから支給された小麦粉を使って、ムリンツィと呼ばれる伝統的なパンケーキを焼きます。

「夜になると、私たちはお茶を飲みながら将来の計画を話し合います。何があっても計画は必要ですからね」とアラさんは微笑みながら言います。

欧州連合やその他のパートナーの協力により、国連WFPは最も弱い立場にあるウクライナの人びとに対して、命を救うための食料や現金支援を提供し続けるとともに、共通の物流や電気通信サービスを活用し、人道的対応を支援しています。

ウクライナへの緊急支援について詳しくはこちら

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