「いつもの給食の味」:紛争後の学校給食がレバノンの子どもたちの栄養と成長を支えています

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1月、ベイルート郊外の瓦礫と化した建物が並ぶ混雑した通りを車で走っていると、すぐに、破壊を免れた学校の建物が目に留まりました。レバノン全土で、10月から11月27日の停戦まで続いた紛争の激化により、人びとの生活は一変しました。
12月に再開したその学校は、数か月間閉鎖されていたにもかかわらず、活気に満ちていました。自宅で学習していた子どもたちが戻ってきたのです。5年生の男の子は、「友だちや先生に直接会えて、とてもうれしいです」と話しました。彼の言葉には、離れて過ごした数か月の重みが込められていました。

もう一人の男の子、ジャド君は、戦争の激化で家族や近所の人が家を失ったことを話してくれました。失ったおもちゃ、二度と乗ることができない自転車についても話してくれました。彼は話しながら涙を流すことはありませんでしたが、声の震えがすべてを物語っていました。多くの人にとって、戦争は肉体的なものよりもはるかに深い傷跡を残します。
校内には、安堵感と同時に、警戒感のようなものが立ち込めていました。
活気のある廊下を歩くと、子どもたちの話し声が響き渡り、休み時間には女の子と男の子が話したり笑ったりしていました。私たちは、友だちに会ったり、鐘の音を聞いたり、学校のおやつを食べたりすることが、子どもたちにとって、辛い混乱の後に安らぎを取り戻す転換点となることを願いました。
「戦争は彼らの教育を中断させただけではありません」と語るのは、同校のスザンヌ校長。「戦争は彼らの安心感を打ち砕きました。子どもたちには心理的なサポートや癒しの空間が必要ですが、それでも彼らは毎朝学校にやって来ます。彼らはつらい経験の重荷を背負っていますが、学ぶ意欲を持っているのです。」
スザンヌ校長は、教室に戻れば徐々に日常感が戻ってくること、そして、WFP国連世界食糧計画(国連WFP)が提供するシンプルで栄養価の高い学校給食が、この新しい生活の重要な一部となっていることを説明してくれました。「これは単なる食事ではありません。」と彼女は言います。「これは、学校のある日常に戻ったことの象徴であり、健康的な習慣の重要性を再認識させるものです。」

国連WFPの学校給食支援は、多くの支援者からの寄付を受け、今学年中にレバノン全土で13万人の生徒に給食を届けることを目指しています。国連WFPはレバノン国内の12校で、ボランティアが運営する既存の学校給食施設を改修し、生徒たちに食事を提供しています。紛争後、これまでに8つの学校給食施設を再開しました。
その数か月間、スザンヌ校長は教師たちから、学校再開を心配するメッセージを受け取っていました。学校を訪問して様子を確認した後、スザンヌ校長は「無事な学校を映した写真を共有」して彼らを安心させました。「先生たちは戻ってくるのが待ちきれない様子でした」と校長は語り、「私たちは皆、子どもたちの生活を再建する上で教育の重要性を再確認しなければなりません」と付け加えました。

学校給食やおやつは、子どもたちに必要な栄養を提供すると同時に、子どもたちの間に「公平感」を育みます。
「ここにはおやつを売る店がありました」とスザンヌ校長は言います。「生徒が何を買えるかは、親がいくらお金をくれるかによってまったく違いました。だからこそ、国連WFPの学校給食支援はとても価値があるのです。みんな同じ栄養のあるおやつをもらえるのですから。」
レバノンの人びとは、長年にわたり次々と危機に直面し、その都度、大小さまざまな形で日常生活が変化してきました。他の多くの機関と同様に、学校も開校を維持し、秩序を保つことに苦労してきました。それでも教師たちは学校に来て、生徒は学びの中に安らぎを見出し、家族はできる限りのことをして前進を続けています。
国連WFPの学校給食支援の最終的な目標は、学校給食を完全に政府に引き継ぐことです。国連WFPはすでに約50か国でこれを達成しています。