思いやる心さえ、奪われた
シリアでは、空爆や軍事行為が激化する東グータ地区から逃れ、何万人もの避難民がダマスカス郊外の一時避難所に身を寄せています。
5年もの間包囲網下の生活に耐え、やっと安心を取り戻した家族もいれば、苦難が待ち構えているのを知りつつ、故郷への思いを募らせる子どもたちもいます。彼らに話を聞きました。
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10歳の息子、銃撃で失う
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極限状態で生きてきたんだ。他人を思いやる心など、なくしてしまったよ。
アボ・サヤーは故郷東グータを逃れ、3週間かけて避難所にたどり着きました。生活苦に耐え切れず、脱出を決意。しかし「逃げる途中で10歳の息子が頭を撃たれ、間もなく亡くなった」と話します。やむを得ずその場に息子を埋葬し、他の家族とともに避難を続けました。 避難所に着くと、ほどなく食料などの人道支援物資を受け取り、2人の娘たちは学校に通い始めました。
アボ・サヤーはシリア人の若い世代について、暴力の記憶やトラウマ(心的外傷)を治療するための精神的なサポートが必要だと感じています。
「子どもたちは長い間、包囲網の中で孤立して生活してきたので、他人との係わり方を知らない。私たちは極限状況で生きてきて、いつしか人を思いやる心を失ってしまった。食料が乏しくなると、他人に分けなくなった。それはつらい時期だったんだ」。
さらに「私たちはみんな、紛争の中で愛する人も、家や町も、生計を立てる術もなくしてしまった。子どもたちのためにも、これからより良い未来を築いていかなければ」と訴えました。
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物価高騰、果物さえ買えず
ウム・ワエル(42歳)と夫、7人の子どもたちは、ダマスカスから30数キロ離れたアドラ地区の避難所で暮らしています。家を残し、わずかな荷物とともにバスで故郷を離れました。
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彼女にとって、包囲された故郷での生活で一番つらかったのは、子どもたちが欲しがる食べ物を買ってあげられなかったことです。物価は高騰し、ほとんどの人にとって到底手の出ない金額になっていました。 「子どもたちが果物を欲しがっても、買えなかった」とウム・ワエルは振り返ります。 主食のパンしか手に入らない暮らしの中で、末っ子は次第に栄養不良に陥りました。避難所に来てからは、国連WFPからパンや配給食糧を受け取っています。 避難所で、彼らはやっと安らぎを得ることができました。娘のノーラ(9歳)はかつて、爆撃や地上戦の音が絶え間なく続く中、夜中に恐怖で目が覚め泣き出したこともありました。今、彼女は毎晩目を覚ますことなく、ぐっすり眠っています。
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友情と望郷と
10歳のアーマドは、アドラ地区の避難所で家族や近所の人々と暮らし始めて、2週間が経ちます。友達と日がな一日、仲良く一緒に遊べて嬉しい半面、「前みたいに怖い思いをすることはなくなったけど、家は恋しい」とも話します。
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新たな友情も生まれています。避難前、別々の町に暮らしていたムハンマド、ジェミール、アブドの3人は、「東グータでは会ったこともなかったけれど、ここに来てから友達になったんだ」と話しました。「毎日僕らは屋上から自分の町を眺める。いつかは家に帰れることを願ってね」
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少年たちの近くでは、4歳のザイナブという女の子が楽しげな様子で、自由に外を走り回っていました。「嬉しそうでしょう、数カ月間ずっと怯えて泣いて暮らしていたのに、今は外で遊べるんだもの」と、母親は言いました。
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時間との戦い
膨大な数の人々が一時避難所に流入したことで、さまざまな問題も起こっています。建設作業員は、増え続ける避難民の住まいを確保するため、時間との戦いを続けています。作業員の多くはボランティアで、町のそこかしこに破壊された建物が残る中、作業は困難を極めています。
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3月初旬以降、約8万人が東グータ地区から脱出しました。国連WFPはダマスカス郊外に作られた8カ所の一時避難所で、5万人に生命をつなぐための栄養・食糧支援を実施しています。一方、東グータでは今も、子どもたちが絶望的な状況下に置かれています。