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【#IamSyrian】フィラスからの手紙 ~両親を忘れられないけれど、今は叔父が父親がわり~
, WFP日本_レポート

国連WFPは、毎月シリア国内でおよそ400万人、そして周辺国で避難生活を送る150万人近くのシリア難民に対し、食糧支援を行っています。「#IamSyrian(わたしはシリア人)」キャンペーンでは、シリアのふつうの人々の言葉を伝えます。「いいね」やシェア、#IamSyrianのタグ付けをして、彼らの声を周りの人に広めてください。

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わたしは男。わたしは女。わたしは母、息子、父、娘。わたしは難民。わたしはシリア人。#IamSyrian

祖国シリアで紛争が始まってから5年がたち、わたしたちは家、仕事、学校、そして未来を失いました。命を失った人もたくさんいます。 いま、わたしたちは不安の中で暮らしています。食べる物がない、寝る場所がない、どうやって生きていったらいいんだろう、と。 紛争に翻弄されるわたしたちですが、小さな願いがあります。食べる物があり、寝る場所がある暮らしを送りたいのです。 今後、わたしたちが仕事を得て、子ども達に安全な住居をみつけ、失ってしまった故郷や生活に戻れる日は来るのでしょうか。紛争が始まってから、早5年。世界の皆さんが、わたしたちシリア人のことを気にかけていると言っていただければ―。

フィラス

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©Berna Cetin

僕の名前はフィラス。18歳です。家族を亡くしました。私は、父の言いつけでトルコに出稼ぎに行っていたので、一人だけ攻撃を免れました。3ヵ月後、叔父からお金を持って帰ってこいと連絡が入りました。

帰ると、僕の家はめちゃめちゃに破壊されていました。僕には、父と母と6人の弟や姉妹たちがいましたが、家族みんなが死んだことを知らされ、とてつもない孤独を感じました。

両親のことは決して忘れませんが、今は叔父が父親がわりです

叔父は私をトルコに連れ帰ってくれました。今は、叔父一家と暮らしています。両親のことは決して忘れられませんが、今は叔父が僕の父親がわりです。

僕は菓子工場で1日10時間、週6日働いています。シリアでは、大工の工房で働いていました。昔の生活が懐かしいです。友達がいて、幸せでした。

今は、誰とも連絡がつきません。僕の唯一の夢はシリアに戻ることです。それだけです。どうか皆さん、僕の夢が叶うよう、助けてください。

わたしはシリア人。#IamSyrian フィラスより

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