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食糧支援の最前線で活躍する日本人職員 インタビューシリーズ 第1回 別府昌美 WFPアフガニスタン事務所 プログラムオフィサー

食糧支援の最前線で活躍する日本人職員 インタビューシリーズ 第1回 別府昌美 WFPアフガニスタン事務所 プログラムオフィサー
, WFP日本_レポート

WFPでは、70人あまりの日本人職員が勤務しています。その多くはアジアやアフリカの食糧支援の最前線で活躍しています。このシリーズでは、各国のWFP支援現場に勤務する日本人職員をインタビューし、WFPでの仕事や支援現場での生活などについて聞いて行きます。

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©WFP/Photolibrary

1) 別府さんの経歴とWFPで働くようになったきっかけを教えてください。

薬学部卒業後薬剤師免許を取得し、製薬会社に勤務していたころですが、国際連合カンボジア暫定統治機構(UNTAC)に派遣されていた日本人2名が殉職するという事件がありました。戦争や人々の殺し合いは過去のものだと思っていた私には衝撃的な事件でした。そして誰かのために命をかけられる仕事が世界にはあるのだと、途上国での仕事に興味を持ったのが、そもそものはじまりです。

その後退社してイギリスの修士課程で開発学を学び、その後フィールドで経験を積もうとNGOに加わって、ケニアにてプロジェクト調整業務に従事しました。ソマリアにおける洪水被害の支援活動にも携わり、その際WFPが運営する国連人道支援航空サービス(UNHAS)の飛行機に乗る機会がありました。WFPスタッフの雰囲気がとてもよかったことをいまでも覚えています。その後さらにJICA勤務(本部と在外)、博士課程修了(博士号取得)、在外日本大使館専門調査員を経て、WFPにJPO*として入職し、ローマ本部政策ジェンダー課にて2年間勤務したのち、2010年アフガニスタン事務所に赴任し現在に至ります。

*JPO(Junior Professional Officer):日本政府の財政支援のもと、一定期間各国際機関へ派遣され、国際機関の正規職員となるために必要な知識や経験を積むことができる制度。

2) 現在アフガニスタン事務所で携わっている仕事について、プロジェクトの内容などを具体的に教えてください。また、先日、現場へ行った際に写真を撮ってきたそうですが何をしているところか、教えていだけますか。

WFPアフガニスタン事務所はその使命である食糧支援において、男女間の社会的性差による不公平が起こらないよう配慮し、また、現地の社会的・文化的状況を考慮しつつ男女間の社会的性差平等を推進する努力をしています。具体的には、女性の地位向上のために女性を対象とした活動(NGO等が運営する公共事業に参加するとその労働の対価として食糧を支援したり、母子の栄養強化のための食糧支援を行うなど)を推し進めています。また、親が女子生徒を家にとどめずに学校に行かせ、教育を受けさせるよう、家に持ち帰るための食糧を配布しています。また、食糧配布に際しては、受取者を女性にするようにしています。これは、女性に食糧を引き渡すほうが、より確実に食糧がその家族の元に届くことが明らかになっているからです。また、女性の意見をなるべく意思決定に反映させるために、食糧配布に関する委員会の主要な職務に女性を据えるよう、協力関係にあるNGOなどに進言しています。

こうした活動は、それぞれの担当者とWFPエリアオフィス(アフガニスタンには6つの大きな地方都市にそれぞれオフィスを構えています)が主導していますが、私の役割はそれぞれの活動のなかに女性支援の視点を組み込むことです。例えばWFPでは、パーチェス・フォー・プログレス(「前進のための食糧購入」、略称P4P)というプロジェクトがあります。これはWFPが小規模農家に対し農業技術支援を行って農作物の量・質の向上に貢献した上で、そこから農作物を適正価格で買い上げることで小規模農家を支援し、一方でWFPは良質な食糧を比較的安く確保するという取り組みです。アフガニスタンでは地域によりますが、女性も男性と同様に農作業に従事しています。WFPはプロジェクトの計画の段階から、農業技術支援で見過ごされがちな女性を対象者に含めようと、プロジェクト実施者であるNGOと協議を重ねています。また、NGO用にガイダンスメモを作成してそれに沿った活動を展開するよう要請します。

しかし、女性を動員することで男性から反感をかってはいけません。例えば、職業訓練(ミシン)に来ていた女性は、彼女が家をあけることに夫は反対だったといいます。しかし1ヶ月後、WFPからもらった小麦を家に持って帰ると夫は喜び、それ以来職業訓練に行くことを応援してくれるようになったと話していました。また、そうした夫の態度がうれしく、女性は自分も家庭を支えているというのだという自信につながっている、職業訓練には同じような境遇の女性の仲間がいて、いろんな話ができて楽しい、と言っていました。そしてミシンをおぼえて家族のために服をつくりたいと話してくれました。

公共のためになるプロジェクトに参加し労働した人に食糧を支援する活動もありますが、公共工事で肉体労働を提供するのはアフガニスタンでは男性の仕事とされています。ここに無理やり女性を連れてくることはできません。そこで、女性でもできる貢献として木の苗を育てる活動を追加しています。木の実から苗を育て、その苗を緑化事業(植林は男性の仕事)に使用します。自宅近くで、家事へのしわ寄せが少なく無理なく続けられる活動として、女性たちに受け入れられています。(写真)

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植林のプロジェクトに参加するアフガニスタンの男性たち©WFP/Photolibrary
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植林の現場の近くで育苗の作業をする女性©WFP/Photolibrary

WFPは、2012年新しい政策を採択しました。人道保護に関するものです。1-2月には、バンコクにあるWFPアジア総局から保護の専門家を招聘し、今後どのように保護の観点を支援に取り込んでいくかを検討しました。写真は、その専門家と一緒にマザリシャリフに出かけ、女性用シェルターを視察したときのものです。例えば、WFPの食糧支援を受けたことが理由で家庭内暴力があった場合(現在そのような報告は受けていませんが、たとえばの話です)、被害者を保護する機関に照会する必要があるので、その候補のひとつとしてNGOが運営する女性シェルターを訪問しました。このNGOでは手厚い支援を提供しており、医療をはじめ法律、心理サポート、衣食住、識字や職業訓練、家族との連絡、など多角的なものでした。ちなみに、ここを訪れることができたのは女性である私だけで、バンコクからきた専門家は男性だったため訪問を断られてしまいました。アフガニスタン事務所では今後、保護アクションプランを作成し、エリアオフィスの同僚やプロジェクト実施者であるNGOなどへ研修を実施し、食糧を介するさまざまな人道上の問題が起きないよう、また起きたときには適切かつ迅速に対処できるようにしていくことにしています。

他の国連機関との連携も不可欠です。昨年は「アフガニスタン女性のための国家行動計画」の試験的事業として、さまざまな国連機関が展開していたダイクンディ県での活動をどの機関がどの分野でどのようにして人々の持続可能な生計を支援しているかを可視化し、国連諸機関が一体となって活動をモニタリングしました。アフガニスタン女性省は今後、こうした国連機関の活動に相乗効果を期待し、さらに他県に事業を拡大させたいとしています。

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女性シェルターで行われている識字教室の様子を視察©WFP/Photolibrary
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女性シェルターで生活する女性たちとNGOのスタッフたちと©WFP/Photolibrary

アフガニスタンの女性は、とても厳しい社会状況におかれていると言えますが、彼女らはやる気にあふれていて、大きな可能性を秘めています。WFPでは識字教室や職業訓練に通う女性に対し、継続して通い続ける動機付けとして食糧を渡しています。識字教室の需要は大変高く、これは、アフガニスタンの女性が学び、自らの状況をより良くして行こうという強い意欲の表れだと思います。

3) 日本政府の支援による活動について教えてください。

WFPのアフガニスタンにおける活動に関しては日本はアメリカに次ぐ第2の支援国です。 2011年、日本は4,600万ドルをアフガニスタンにおける活動へ拠出しました。私たちの大きな活動の一つである復興開発支援活動では、全体の活動費に対し日本の拠出が占める割合は22%にも及びます。ですから、日本の支援は極めて重要で、日本の支援なくてはアフガニスタンでの食糧支援活動はなりたちません。

また、国連人道支援航空サービス(UNHAS)の運営にも日本は多大な支援をしていて、2011年では最大の支援国となっています。アフガニスタンは治安が悪いため、国連職員は陸路で移動することが禁止されています。我々が地方に行く唯一の足がUNHASです。他の国連機関や支援機関、支援国関係者、NGO関係者もまたUNHASを使います。日本からの支援は、アフガニスタンでの人道支援を支える航空サービスにも生かされています。

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UNHASには機内サービス(温冷飲み物)もある。©WFP/Photolibrary

この航空サービスが日本、アメリカ、ヨーロッパ連合の支援で成り立っていることが示されている。

4) WFPで仕事をするにあたり、日本人であることの強みを感じることはありますか。

アフガニスタンの人々は、日本と日本人に親しみを感じている、というのがよくわかります。中にはアフガニスタンと日本は同じ年に独立した、という誤解した歴史認識を持っている人もいて、そんな仲間意識からくる親しみもあるようです。現地スタッフやプロジェクトで支援している人々と打ち解けやすいところは日本人の強みだと思います。

5) アフガニスタンで仕事をされていて、特に印象に残っているエピソードがあれば教えてください。

赴任して間もない頃、午後の4時過ぎにアフガニスタン人の同僚の部屋を訪れたところ、彼はこちらを背にして絨毯に座り窓の外に向かって祈りをささげている最中でした。その光景は非常に印象的で美しく、「ああ、イスラムの国にきたんだな」と強く感じました。1日に5回もの祈りが生活の一部として息づいている文化の中に自分はいるのだ、と嬉しくなったのを覚えています。

6) アフガニスタンでは治安の観点から、国連職員の行動は制限されていると聞いています。そうした厳しい環境で仕事をするにあたり、どうやって気分転換をしているのですか。

まずは、カブールでの日常の様子をお話しましょう。国際職員は事務所から車で10分かからないところにある何軒かの宿舎に分散して生活しています。朝になると装甲仕様の車輌に3-4人ずつ分乗してオフィスに出勤します。外部での会議等のための外出にもこの装甲仕様の車輌が使用されます。1日の仕事を終え、また車輌に分乗して帰宅します。そのあと、個人的に外出する場合でも、同様の車輌が用いられます。WFPの門限は10時半です。1日の最後には無線ラジオで警備部門に連絡し、私が最終所在地(宿舎)にいることを確認してもらいます。夜だけでなく日中もまた、全職員の所在地はつねに警備担当の職員によって把握されています。スタッフひとりひとりが守られている、という強い実感があります。

就業後や週末には買い物や食事に出かけることができます。カブール市内で国連職員が出かけてもいい場所は、チキン・ストリートというお土産ものなどを売っている30メートルくらいのショッピングストリート、スーパー3~4軒、レストランが3~4軒くらいです。また、他の国連機関の宿舎やカブール郊外にある国連施設での集まりやパーティに行くこともあります。ですが、治安状況によって外出禁止になる場合もあります。外出禁止になるとオフィスにさえ行くことができないので、宿舎で仕事をしたこともあります。

気分転換には、週末にラバーブというアフガニスタンの伝統楽器をアフガニスタン人の先生に習っています。ラバーブは三味線の源流といわれる弦楽器で、シルクロードをわたって日本に来て三味線になったと聞き及んでいます。先生は英語を解さないのと、曲を楽譜で共有しない(音を耳で覚える)ので、先生の真似をして弾き、曲を覚えています。いまはとても楽しくて、毎日仕事から戻るとラバーブを手にとっています。

そのほかには、1日1時間、ジムのマシンでウォーキング、ジョギングをしています。今年は東京マラソンにも出場し、完走しました。宿舎庭の隅で、日本から持ってきたかぼちゃの種を育て、かぼちゃプリンやかぼちゃスープを作り、同僚に振舞ったこともあります。

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週末の気分転換©WFP/Photolibrary

7) 今後、WFPでどんな仕事をやってみたいですか。

アフガニスタンでは治安上、国連職員の移動は非常に制限されています。したがって、プロジェクトが実施されている地域への訪問は思うようにならず、WFPから食糧支援を受けている人々と接する機会は限られています。なるべくなら、人々の暮らしや思いをよりよく知り、一番役に立つ形で支援を続けていきたいと思います。