世界人道の日 ミャンマーで奮闘する支援調整官、伊部あゆ香
8月19日は「世界人道の日」です。 2003年8月19日、イラクのバグダッドで国連本部が爆破され、支援活動に従事していた22名が命を落としたことから、その死を悼み、人道支援の精神を受け継ぐために制定されました。
国連WFPでは、日本人職員も日々、世界中で支援現場の最前線に立ち、飢餓をなくすため、奮闘しています。 ミャンマー事務所に勤務する若手職員、伊部あゆ香をご紹介します。
-現在のミャンマー事務所でのお仕事を教えてください。
2014年にジュニア・プロフェッショナル・オフィサー(JPO)派遣制度*でミャンマー事務所に赴任し、資金調達を担当しています。私の仕事は、日本など各国政府の大使館などに対し、国連WFPの活動内容の詳細やどのぐらいの資金が必要かなどを伝え、時には現場視察にご案内して、理解していただくこと、そして活動資金を集めることです。
経済発展が著しいミャンマーですが、慢性的貧困、地域的な紛争、頻発する自然災害などにより、人口の約26%は一日およそ125円以下で生活しています。(2014年7月現在)日本は国連WFPのミャンマーにおける食糧支援活動の最大支援国です。2013年、ミャンマーでの活動に対して寄せられた支援金のうち、半分以上が日本からのものでした。国内避難民キャンプでは、日本政府からの拠出金により国連WFPが現地で購入した食糧が配られ、人々を飢えから救っています。
また、国連WFPは、人々の暮らしを根本的に改善するため、地域全体の役に立つ生活基盤の整備を手助けしています。例えば、農地の整備や、道路、学校・井戸などの建設・修復工事を村人たちが行う際、作業に参加した人に対し、報酬がわりに食糧や現金を支給します。生活が保障されることで、人々は長期的な視野を持って地域の生活改善に取り組めます。ミャンマー東北部には、冷涼な気候条件のため、麻薬の原料となるケシを栽培し、生活の糧としていた地域があります。2003年に政府がケシ栽培を全面廃止しましたが、その結果、農民たちは収入源を失ない、食糧危機に陥りました。国連WFPは当初、緊急食糧支援を行ない、その後は、農民たちがケシ栽培以外で安定した生活基盤を築けるよう、一定期間、労働の機会を与え、その報酬として食糧を支給し農民たちの生活を支えました。このプロジェクトは今でもこの地域で行なわれており、今では農民たちのニーズなど次第で、労働の報酬として食糧ではなく現金を支給する場合もあります。
-現在の仕事に就かれるまでの経緯を教えてください。
大学卒業後、在外公館派遣員として在ジャマイカ大使館に2年間勤務し、その後、外務省の外郭団体に勤めた後、2008年、青年会外協力隊員として国連WFPマラウイ事務所に赴任しました。これが私の今の仕事の原点となりました。国際協力機構(JICA)が青年海外協力隊員を国連WFPに派遣する初の連携で、私の仕事は必要な人にきちんと食糧が届いているか、食糧配給の状況を調査することでした。マラウイ中部デッザ県のムーアという村に拠点を置き日々、バイクで近隣の村々を走り回り、時には100キロ以上舗装されていない道路を走ることもありました。病院で栄養不良の赤ちゃんが亡くなったり、遠くの病院に行けない人が訪問した翌日に亡くなったり、マラリアで亡くなる人もいました。わずかなお金で助けられる命が失われていることに、資金調達の重要性を考えるようになり、そこで、国連WFPマラウイ事務所への派遣終了後、アメリカの大学院で資金調達(ファンドレージング)を専攻しました。
人道支援分野にはさまざまな仕事がありますが、私は、今後、この分野で関わっていくことを決めました。そして、国連WFPスワジランド事務所で広報・報告業務担当のインターンを経て、卒業後は同事務所でコンサルタントとして勤務。その後、日本事務所で支援調整のコンサルタント、ミャンマー事務所のコンサルタントを経て、現在に至ります。
-仕事をする上で、大切にしていることを教えてください。
「資金調達は関係構築」と言われていますが、常にそれを念頭に、ミャンマーでも支援国やパートナーと信頼関係を築くことを第一に、仕事をしています。また、最前線で働く地域事務所のスタッフの人達にも日々、支えられています。
-この仕事をする上でのやりがいを教えてください。
現在、日本を始め、様々な方面からいただいたご支援が多くの人を救っているのを間近に見られるのが、やりがいです。