ミャンマー地震:モンスーンへの懸念が高まる中、飢餓の余波を食い止めるべく奔走

「モンスーンシーズンがじきに始まります。すべてにおいて刻一刻と時間が経過しています。地震が一つの完結した災害だと思っていたら大間違いで、人々が頭上にビニールシート一枚がかかっているのがやっとの状況で、雨が追い打ちのようにさらに悲惨さを増すのです」と、ミャンマーのマンダレー地域でWFP緊急支援チームリーダーを務めるスディップ・ジョシは述べています。
そして余震もあります。「ゆっくりと人命を奪い、家屋は不安定になり、日々、わずかな持ち物を失っていく家族が増えています。」
3月28日の壊滅的な地震以来、WFPは400トン近くの食料を12万7000人に届けてきました。
ジョシは続けて言います。「毎日、新たな課題が待ち受けています。ある日は季節外れの雨で、計画されていた食料配給ほとんどが中断されます。次の日には、ホテルの設備が限られているにもかかわらず、余震が頻繁に発生する中で、増員されたスタッフを収容できる安全なホテルを探すのに苦労するのです。」

そのような時、携帯電話2台とSIMカード4枚で活動しようとしても、オフィスを離れると多くの場所で通信が途絶え、他の職員や協力団体と連絡を取ることができません。
それでも、WFPはわずか10日間で10万人以上の人々に支援を届けました。これは「計画より4日早い」もので、「3月31日に到着した時点では事務所がなかったマンダレーから活動しています。しかし、幸運なことに他の国連機関がここにいたので、彼らのオフィスを頼りにしたり、厨房や倉庫で作業したりしました」。
緊急食糧支援の配布は、地震発生から48時間以内にネピドーで開始され、その後、ミャンマーの乾燥地帯にあるザガイン、シャン、マンダレーへと拡大しました。これらの地域では、長年にわたる武力紛争が続いています。
この地域は長年、慢性的な貧困、継続的な紛争に見舞われ、地域住民は頻繁に家を追われてきました。過去4年間だけでも、ミャンマーにおける避難者の大半はザガインに集中し、120万人以上が家を追われて避難を余儀なくされています。

「活動上の制約、アクセスの問題、治安の悪化などにより、最も遠隔な地域などまだ支援がこの最初の2週間で届いていない地域もありますが、じきに住民に支援を届けることができるでしょう。私たちは誰一人取り残しません。特に、私たちの支援を最も必要としている人々を」とジョシは言います。
被災者のニーズは利用可能な人道支援の資金をはるかに上回っており、9月の台風ヤギとそれに続く洪水の影響から未だに回復していない紛争被災地では、支援物資の供給は特に困難です。
「私たちはあらゆる場所で支援のアクセスのため交渉をしなければなりません。検問所を通る際の交渉ばかりではありません。信頼関係とネットワークを築くために費やす時間も必要です」とジョシは語っています。「誰もが、私たちが誰なのか、あなたのパートナーが誰なのかを知りたがっています。」通信状況の悪さと輸送上の制約にもかかわらず、WFPは日々信頼関係を築いています。
モンスーンの時期は、物流面でのアクセスがさらに困難になる見込みです。ジョシによると、現在、マンダレーから、地震で深刻な被害を受けたもう一つの地域であるザガインへ渡る橋は既に部分的に損壊しています。「WFPは現在、川の荷船で食料を運ばなければなりません。」地震により、被災した58の郡区で支援を必要とする人の数は合計630万人に達し、そのうち180万人が重点的な人道支援の対象となっています。

WFPは地震支援のため、最前線に76名の人員を派遣しました。
物資の配給は、HIVや結核に感染している人々、そして紛争によって既に家を追われた人々など、最も脆弱な立場にある人々を優先してはじまりましたが、心痛む難しい決断も余儀なくされました。
「市内の5,000人に支援物資を送るべきか、それとも何も受け取っていない遠隔地の1,000人に支援物資を送るべきか、という決断を迫られる瞬間もありました。これはデータベース上が行う判断ではなく、人間が行うものです。」協力団体、当局、被災の現地から得られるデータを考慮したうえで人間が下す判断ということです。
マンダレー在住の50代のドー・ヌエット・イーさんは、地震で自宅がもろくなったと語ります。「私たちは生活に必要なものすべてを必要としています。家族全員が道路脇の地面に敷いたマットの上で寝ているのです。」
彼女は付け加えます。「配給されたビスケットや食事の弁当に頼っています。子どもたちが取りに行きます。私はできません。だから娘と息子が代わりに受け取ってくれています。」
彼女の最大の心配事は、「また地震が起きて家が倒壊してしまうのではないか」ということであり、このため自宅に戻ることができないでいます。

「隣の家の子どもが(壁が崩れ落ちて)住んでいた家の前で亡くなりました」と彼女は言います。「子どもたちはただ遊んでいて、地震が来るとは知りませんでした。私は彼らが死ぬのを見ました。だから、とても怖いのです。」
ジョシは、昨年紛争で避難を余儀なくされ、地震で借家とすべての持ち物を失ったという女性と話したことを覚えています。
彼はこれを今回の地震の不平等と呼んでいます。「都市の周縁部、人口密集地域、そして紛争の影響を受けている奥地で暮らす最貧困層は住居を失いました。今後数か月間食べていくための支援を必要としています。」
WFPは、今後3ヶ月間、最も脆弱な人々のニーズを満たすために4,000万米ドルを必要としています。
「私たちは毎日全力疾走していますが、レースにゴールラインはありません」とジョシは言います。彼はさらにこう付け加えた。「この危機は地震以前から既に忘れ去られていました。私たちは、それがいつまでも忘れ去られないように努めています。」