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【日本人職員に聞く】東日本大震災を振り返って―ともに全力で立ち向かう(前編)

, WFP日本_レポート

10年前、東日本大震災では国連随一の輸送集団であるWFPはその強みを生かして被災地の支援にあたりました。世界各国で飢餓と闘う日本人職員も物流・緊急支援のプロフェッショナルとして駆けつけました。当時日本での全体のオペレーションの調整を行った山﨑和彦さんに当時の経験について聞きました。

地震発生当時は、マレーシアのクアラルンプール近郊にある国連人道支援物資備蓄庫(UNHRD)の事務所にいましたが、同僚が「日本で大きな地震があったようだ」と知らせてくれ、テレビをつけると衝撃的な津波の映像が目に飛び込んできました。まだ正式の要請はありませんでしたが、私が日本に向かう可能性はあると思い支度を始めました。その数日後、正式な日本への派遣要請を受けて、3月15の朝私は東京に到着しました。

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Photo: WFP

日本へ向かう飛行機の中、ノートに何ができるのか書き出してみましたが、WFPが果たして必要とされるのか、どのようなニーズがあるのか全く予測できずにいました。ところが蓋を開けてみると我々がやるべきことが待ち構えていて、結果として、7月末まで約4か月WFPの活動を実施するために日本に滞在することになりました。

WFPの強みを生かした支援

外務省からまずWFPにあった依頼は、世界各国から送られた救援物資の一部の通関や配送業務を外務省、日本赤十字社と協力して担当することでした。この業務は我々の得意な分野で、その後のWFPによる緊急支援の第一番の柱となりました。物流会社と協力し、インドやカナダなどから到着した大量の毛布を全国各地の避難所まで、成田空港から配送しました。韓国からは新潟港に船で飲料水、その他世界各国からの缶詰など食品、日用品などが続々と到着し、通関、配送をお手伝いしました。

第二は、WFPのオリジナル・プロジェクトとして、緊急用の仮設大型テント(45張)やプレハブ(36棟)を被災地に設置するというものです。マレーシアのWFPが管理するUNHRDから、空路と海路で成田や横浜港に何度も運び込み、そこから福島、宮城、岩手の各県の自治体に寄贈、設置し、食料品等の倉庫として利用してもらいました。

テントのユニークな活用

大型テントはさまざまなアイデアで活用していただきました。ユニークな例として、石巻では長さ32mのテントを二つつなげてトンネル状にし、その中を自衛隊のトラックが通って流れ作業で食料を積み込めるようにしました。その他、ボランティア拠点、多目的ホール。宮城県の亘理などでは瓦礫の中から回収され、きれいにされたアルバムなどの整理保管、返還場所として使われました。岩手県山田町では、5月に「商店街」として。本屋さん、自転車屋さん、洋菓子屋さんなど8店舗の入ったこじんまりしたものでしたが、人々が待ち焦がれているものでした。

WFPは他にも国内の食品関連企業から寄せられた食料品と飲料などを東北の自治体に寄贈したり、WFPの職員を被災地の社会福祉協議会やボランティア組織に派遣させキャパシティビルディングを行うプロジェクトにも携わりました。

山﨑和彦 国連WFPイエメン・ホデイダ地域事務所 ロジスティックスオフィサー2000年JPOとしてローマ本部に着任。以降ケニア、エチオピア、ローマ本部、マレーシアのUNHRD、アフガニスタンを経て現在イエメンで勤務。