「僕らをここから連れ出して」
シリア、包囲網下の食糧支援現場にて
「僕たちをここから連れ出して!」
空爆下のシリア・東グータ。3月、食糧支援に訪れた国連WFP職員に、地元の少年、ハムダとアナスは何度も繰り返しました。食糧を運ぶために来たんだと説明しても、「一緒に行っちゃだめ?」と頼み続けます。「僕たちを連れ出すために来てくれたんじゃないの?」「いつ道路は通れるようになるの?僕たちここから出たいんだ」。
空爆の音が聞こえ始め、次第に近づいてくるのが分かります。荷下ろしをするボランティアに緊張が走り、口々に「急げ!(食糧を運ぶ)ペースを上げろ!」と叫びました-。
国連WFPはシリア内戦が8年目に突入した3月15日、包囲網の中にある東グータのドーマーで食糧支援を実施しました。包囲は6年に及び、住民は近くの畑の作物などで命をつないできました。しかしこの3カ月で市域の40%は破壊され、食糧の買い出しが死に直結しかねない状況が続いています。市内には近郊の集落から逃げてきた人も含めて20万人以上が暮らしていますが、多くは激しい空爆を避け、地下での生活を強いられています。
支援物資を載せたトラックの列が市内に入ると、人々は続々と外に出てきました。男たちは携帯電話のカメラで写真を撮り、子どもたちは車列を追いかけ、ベールをかぶった女性が、バルコニーで国連旗がはためくのを眺めます。
ボランティアが物資を車から降ろし始めました。小麦粉の袋をリレーしながら地下へと運びます。小麦粉が煙のように舞う中、ジョークを飛ばし、元気におしゃべりしながら働きます。
一方、長く狭い階段を降りた地下は、病気の温床です。
多くの人が、狭い空間にひしめき合って暮らしています。雑貨店に併設された急ごしらえのパン屋で、店主のムスタファは話します。
「一人ひとりが受け取る配給はほんの少しなんだ。たくさんの家族が苦しい生活をしている。(食糧支援で)おなかを空かせた人が少しでも助かるといい」。住民は、限られた食糧がなるべく多くの人に行き渡るよう、1人分の配給を分割して配っているのです。
「僕たちは、墓の中で忘れ去られているような気分だよ」ムスタファは言いました。
地上では空爆が近づき、100メートルも離れていない場所に着弾しました。地面が揺れ、人々は近くのモスクに走って逃れます。爆撃がやむと再び集まり、残りの作業を続けました。表情は一変して暗く、黙りこくってものすごいスピードで小麦袋を運びます。
爆撃の後、アブドゥラという少年がショックを受け、うつろな目をして立ちつくしていました。大丈夫かと尋ねましたが、しばらく口も聞けません。地元の男たちの1人は言いました。「毎日、俺たちはこうやって生きているんだ」
支援チームがドーマーを去る時、1人の女性が近づいてきました。「お願いだから、娘と私を連れて行ってちょうだい。ここにいたら死んでしまう」彼女は言い募ります。「死んでしまったら、飲み物や食べ物が何の役に立つっていうんだい?」
街を出る時、元気を取り戻したアブドゥラに再会しました。何か欲しいものはないかと尋ねると、彼は言いました。
死ぬかもしれないなんて思わずに、外で友達と走り回りたいな。
飢餓に苦しむシリアの人々を救う最も有効な方策は、内戦を終わらせることです。国連WFPはすべての紛争当事者に対し、市民の安全確保と、必要な食糧をシリア全土に安全に届けられる環境を求めています。