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かつて学校給食で育ったアスリートの父 いま娘が支援を成長させる

<特集・アスリートと栄養>国連WFPの学校給食支援により空腹から解放されて育ったアスリートに、マラソン世界記録保持者となったケニアのポール・テルガトさんがいます。そして娘のハリエット・テルガトさんは今、国連WFPのケニア事務所で働き、飢餓に苦しむ人々を支える側に回りました。ハリエットさんに、家族の思い出や仕事への思いを語ってもらいました。
, By Harriet Tergat
Harriet Tergat
国連WFP飢餓撲滅大使を務めたポール・テルガトさんの娘、ハリエット・テルガト Photo:Harriet Tergat

- お父さんが現役のマラソンランナーだった頃の、何か具体的なエピソードを聞かせて下さい。

 

父のキャリアは、陸上競技界の様々な分野にわたっています。数あるレースの中でも最も私の記憶に残っているのは、2000年のシドニーオリンピックの1万メートルです。トラック上の友人であり、最大の敵でもあるハイレ・ゲブレサラシエ選手に惜しくも2位で敗れました。熱気に満ちたレースで、とても戦術的で、父は適切に足を蹴っていましたが、ゲブレサラシエ選手の方がわずかに余力があり、父の前にゴールしたのですから、忘れられないレースです。兄弟のロナルドと私は、指をクロスしてレースを見守っていました。もう一つ、このレースが特別だった理由は、数か月前に妹のグロリアが生まれたからでした。私たち子どもが父のモチベーションになっていたのです。家族は皆、父がこのほんの少しの士気により表彰台で1位になれると思っていました。

 

1995年3月にイギリスのダラムで開催されたクロスカントリー選手権も、私にとって大切なレースの一つです。私は小さすぎて覚えていませんが、なぜ特別かと言うと、父が私のためにこのレースを走り、優勝したからです。私は1995年3月12日に生まれたのですが、その時父は母の側で立ち会い、私が生まれた後イギリスに行ってレースで優勝したのです。私のミドルネームの一つである"Durham"は、このレースへのオマージュです。

Paul and Harriet Tergat
子どもの頃のハリエットとポール・テルガトさん Photo: Harriet Tergat

- テルガト家ではどんなものを食べていましたか?世界記録を作ったりアスリートとして有名になってから、テルガト家の食事は変わりましたか?

 

母のモニカは医療従事者なので、父がアスリートだった頃から、そして両親が年を取った今では一層、家庭で健康的な食事をすることが基本になっています。多くのケニアの家庭で食べられているものを食べ、ウガリ(トウモロコシの粉)も食べましたが、父のウガリはキビから作られていました。また、小さい頃はあまり好きではなかった伝統的な野菜(カレンジン語でソチョン)や、さまざまな肉のシチュー(マトンとチキン)も食べていました。もちろん、子供たちに文句を言わせないために、それなりの「ジャンク」を食べることもありました。

AC Japan Poster
2006年のAC広告「給食が育てた、世界記録。」に出演したポール・テルガトさん 協力:(公社)ACジャパン

- ハリエットさんが国連WFPで仕事をしようと興味を持たれたのはどうしてですか?

 

私が初めて国連WFPを知ったのは、2004年に父が国連WFPの飢餓撲滅大使を務める栄誉をいただいた時でしたが、それ以上に、父の財団であるポール・テルガト財団が、ポコット族のコミュニティのために、父やアスリート仲間、その他の支持者から食料の寄付という形で、人道支援を行った時でした。この活動を通じて、父が恩恵を受けていたWFPの学校給食プログラムの活動を知りました。

 

これがきっかけで、国連WFPの活動をもっと知りたいと思うようになり、いつか自分もこのような志の高い活動に貢献したいと心の中で思うようになりました。私は英国・イングランドのケント大学で法律を学びましたが、ケニアに帰国したら法律の道には進みたくないと思っていました。ケニアでは、多くの人が商法の道に行くようになるからです。それでも、貴重なスキルを身につけたので、具体的な変化をもたらすために生かしたいと思いました。

 

最初はWFPケニア事務所でボランティアとして始めました。そこで、恩人であるランダル・パーセル氏が、若者のイニシアチブをリードする機会を与えてくれました。仲間の若者と交流し、バックグラウンドは違っても、私たちの問題を理解することができました。小さなことでも自分にできることに全力で取り組むことのやりがいを感じ、キリフィの若者がアグリビジネスに必要な支援を受けるためのイニシアチブをサポートすることができました。

Paul and Harriet Tergat
子どもの頃のハリエットとポール・テルガトさん Photo: Harriet Tergat

- お父さんの子どものころと、今のケニアでは栄養事情は変わっていますか?



父が子供の頃と比べて、ケニアの栄養状態は全体的に変わりました。現在、ケニアは下位中所得国ですが、それに伴い、システムの機能が向上し、民主主義が機能し、国民は憲法で定められた不可侵の権利が保障されています。父をはじめ、母や、数え切れないほど多くの同世代の子どもたちに食べ物を与えてくれた学校給食プログラムは、その後、「Home-grown School Feeding Programme(地産食材による学校給食プログラム)」という名称に変わりました。これは何を意味するのでしょうか?これは、国内の小規模農家が自給自足に必要な量を栽培し、余剰分を販売して購買力と回復力を高められる状態にあることを意味します。また、政府が小規模農家の可能性を認識し、国家プログラムに供給するための現地調達などの機会を通じて、彼らを向上させていることを意味します。以前は、学校給食プログラムで提供される食料のほとんどが援助によるものでしたが、今は変わってきています。ケニアは長い道のりを歩んできました。ケニア国民として、この功績を非常に誇りに思います。

Paul and Harriet Tergat
子どもの頃のハリエットとポール・テルガトさん Photo: Harriet Tergat

- 今のケニアでは国連WFPはどのような領域に力を入れていますでしょうか。



私は現在、Farm to Market Alliance(FtMA)という、農家と民間業者をつなぐプロジェクトと協力し、ケニアにおけるデジタル化とコミュニケーションのリーダーを務めています。FtMAは、農業に特化した6つの組織(Agra、Bayer、Rabo Bank、Syngenta、WFP、Yara)から成るコンソーシアムで、主な目的は、小規模農家のために市場をよりよく機能させることです。Farmer Service Centresという、農村部の起業家やアグリゲーター、農民グループ、協同組合によって運営されるセンターがあり、それぞれが約200軒の農家に対してサービスを提供し、農業コミュニティの主要ハブとして、革新的な活動をしています。小規模農家とバリューチェーンの主要アクター(官民)との間のギャップを埋め、すべての利害関係者間の信頼性と透明性を高めることを目的としています。

Paul and Harriet Tergat
子どもの頃のハリエットとポール・テルガトさん Photo: Harriet Tergat

- ケニアをはじめ、世界のこれからのアスリートとなる若者や子どもたちにメッセージをお願いします。

 

アスリートになるためには、勝者になるつもりでいることだと思います。勝者になるためには、自分が勝者であると信じなければなりません。その上で、偉大なことは簡単にできるものではなく、多くの犠牲と鍛錬が必要であることを知らなければなりません。困難な状況に陥ることもありますが、そうすると、困難な状況はさらに困難になります。勝利とは精神的なものであり、たとえ勝てなかったとしても、「自分はもっとうまくやれる」という自己への確信が、自分を奮い立たせ、今はまだ得意ではないかもしれないことに取り組む動機となるのです。これは人生すべてに言えることです。

 


 

国連WFPニュース・2021年7月号「特集・アスリートと栄養」も是非ご覧ください。

 

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