故郷を追われる 絶望の旅
2015年より内戦が続くイエメン。紅海沿岸の都市ホデイダでの激しい戦闘によって、60万人以上の人びとが家を追われ、貧困と飢え、絶望の淵へと追いやられています。
恐怖に怯える日々
イエメン南部ラヒジュ県にある国連WFPの食料配給所には、小麦粉や豆類が入った袋や食用油の缶が積み上げられ、配給を待つ人びとが列を作っています。そこに、群衆から離れて立つ小さな女の子がいました。
女の子の名前はルディナ、4歳です。4カ月前、危険が高まるホデイダからラヒジュに、家族と一緒に逃げてきました。
叔母のアッサーによると、ルディナはホデイダの街で生まれ、両親と8人の兄弟姉妹と一緒にホデイダで暮らしていました。しかし、2018年6月に紛争が激化し、ホデイダからラヒジュに避難しました。
「私たちは恐怖におびえていました。爆弾や空爆、爆撃の音に、ルディナは毎晩泣いていました。そして遂に、私たちは荷物をまとめ、ここに住む知り合いの家族の家に身を寄せることになったのです」とアッサーは言います。
避難してから、家族は国連WFPから毎月支援を受け取っています。
「国連WFPから食料を受給する前は、子どもたちに食べさせることができませんでした。ホデイダにすべてを置いてきたからです」
激化する紛争、過酷な避難生活
ルディナの体験は、イエメン紛争中に生まれた300万人以上の子どもたちの窮状と、ホデイダの事態の深刻さを物語っています。過去数カ月の間に、何十万人もの人びとが家を追われました。
ルディナの家族を含む約14,000家族が、アデンやラヒジュなどの南部の県に移住しました。他の家族や親戚と一緒に暮らす人びともいますが、大部分の家族は、避難した地の中でも最も貧しい地域で、タープやベッドシーツで激しい日差しや暑さから身を守るだけの出来合いの避難所で暮らしています。
4人の子どもの母親であるアイシャは、ホデイダの街に素敵な家を持っていました。今、彼女の子どもたちは、野外で硬いコンクリートの上で眠るほかありません。アイシャは涙を目に浮かべながら言いました。
「国連WFPからの毎月の食料支援がなかったなら、子どもたちは空腹で眠りについていたでしょう」
平和への望み、帰郷を夢見て
アイシャは、ホデイダからアデンやラヒジュに辿り着いた他の多くの避難民家族と同様に、彼女の子どもたちにとってよりよい未来を望んでいます。
「子どもたちには、安全に元気に学校に通って欲しいです。家族が安心して健康でホデイダの我が家に戻れることを願っています」
国連WFPは、他の国際機関と協力して、イエメンで2018年6月以降、ホデイダでの戦闘から逃れた家族のための緊急支援を行っています。現在までに約10万家族が、避難後初めての支援として食料5日分を受け取っています。避難所に定住後は1食毎の食料配給を受け、その後は国連WFPの一般的な食料支援を月ごとに受け取ります。
国連WFPは、毎月イエメン国内で最も飢えに苦しむ800万人の人びとを支援するために休みなく働き、イエメン国内の更なるニーズに合わせ支援を拡大していく計画です。