過去の悪夢乗り越え、前へ進む
ロヒンギャ人道危機1年、「国に帰るくらいなら、死んだほうがまし」
昨年8月下旬、ミャンマー北部・ラカイン州のロヒンギャ族が、激しい迫害を逃れて隣国バングラデシュに大量避難して1年が経ちました。武装勢力による警察署の襲撃をきっかけに、ロヒンギャの人々に対する殺人、強姦、焼き討ちなどの残虐行為が横行し、世界最悪の人道危機を引き起こしたのです。
1年たった今も、ロヒンギャ難民の多くは難民キャンプで、雨期の地滑りや感染症の脅威と隣り合わせの暮らしを続けています。またキャンプ周辺では、食料や燃料の価格が値上がりするなど、地元住民の生活に悪影響も出ています。
「娘は、私の目の前で殺されました」
5歳と4歳の孫を連れて避難してきた難民の1人、サハラは振り返ります。2人の孫たちにとって、身内はもう彼女1人だけです。
しかしキャンプでも災難は続きました。雨期に入ってひどい雨が降り続き、最初の住まいは地滑りで潰されてしまったのです。このため新しい避難小屋に移り住みました。
「ともあれ、私たちは生きのびました。平らな地面に住めるだけで安心だし、ありがたいですよ」
ミャンマーへ帰りたいかとたずねると、彼女は即座に否定しました。
「絶対に嫌です。それならいっそトラックにひき殺されたっていい。送り返されるくらいなら、ここで死んだ方がましです」
昨年8月25日以降、ロヒンギャ族70万6000人がバングラデシュに逃れました。同国のコックス・バザール近郊には現在、昨年よりも前に避難していた人を含めて約92万人が避難しています。クトゥパロンは世界最大の難民キャンプとなりました。
キャンプで暮らす難民は、迫害こそ免れていますが、感染症や栄養不良のリスクを抱えています。子どもたちは、あふれ出した排泄物などで汚れた水たまりの中を、素足で遊んでいます。汚水が媒介する感染症が流行しないよう、井戸や排水設備、トイレが作られ、浄水キットや水をきれいにする薬も配られています。
受け入れ集落は物価高騰、観光業も干上がる
住民をはるかに上回る数の難民が現れたことで、彼らを受け入れている集落も、大きな打撃を受けました。
燃料となる木々が乱伐され、地元の生態系が大きく破壊されました。まきや食べ物の価格も、急激に上がりました。
かつてコックス・バザール周辺には、象のいる森やビーチ目当ての観光客が訪れていましたが、人道危機後は観光業も干上がっています。それでも地元の住民は、難民を寛容に受け入れています。
子どもに教育、女性に仕事を提供
難民キャンプ内では、教育の場が整えられつつあります。1068カ所ある教育センターで10万人以上の子どもたちが学び、栄養強化ビスケットと温かい食事を受け取っています。子どもたちに通学を促し、親の家計負担を和らげるのに、給食は重要な役割を果たしています。またモンスーンなどの強風に耐え、比較的長く暮らすことを前提とした避難所の建設も始まりました。
また国連WFPはキャンプ周辺の集落でも、難民の手助けをしてくれる女性に対し、対価として食料を買うための現金を支給しています。
ある地元女性は「この1年で食べ物は値上がりし、夫は仕事を得にくくなりましたが、女性が職に就くチャンスは増えました」と話しました。
国連WFPは、バングラデシュのロヒンギャ難民約87万人に食料支援を実施しています。しかし地元住民も含めると、支援を必要としている人は約130万人に上ります。国連WFPが必要とする資金は、来年1月までで約1億1000万米ドルに達する見通しです。