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干ばつ、経済崩壊、飢餓により、アフガニスタンは飢きんの瀬戸際にいます

国連WFPはなぜ規模を拡大しなければならないのでしょうか。
, Jonathan Dumont
国連WFPのアフガニスタンでの活動を動画でご覧ください。

今年、国連WFPはイエメン、ブルキナファソ、エチオピアなどでの紛争による飢きんや、マダガスカルでの気候による飢きんの誘発を防いできました。

しかし、アフガニスタンのように、経済崩壊によってこれほど早く引き起こされた緊急事態は記憶にありません。

 

UNDP(国連開発計画)によると、8月以降政権崩壊に続いて国際的な制裁とアフガニスタン中央銀行の資産凍結が行われたアフガニスタンと同じ位経済が縮小するまでに、シリアでは5年かかりました。

Family sat down and having a meal
パンとミルク入りの紅茶を食べる北東部の家族。

国民の半数以上にあたる2,300万人近くが次の食事がどうやって得られるか分かりません。Photo: WFP/Jon Dumont

ほぼ一夜にして、アジアで最も脆弱な経済が崩壊し、人々は職を失い、給与が支払われず、貯蓄を利用することもできなくなりました。

 

それ以前に、1,100万人のアフガニスタン人が、長年の干ばつ、紛争、新型コロナウィルスのために、すでに食料不安に陥っていました。

現在、国の半分以上にあたる2,300万人近くが次の食事がどうやって得られるのか分かりません。私たちは、深刻な栄養不良の子どもたちで診療所がいっぱいになっているのを目の当たりにしています。リアルタイムの悲劇の幕開けです。

 

国連WFPは、冬の雪で道路が通れなくなる前に、農村部に食料をあらかじめ置いておくために奔走しています。しかし、雪崩が追い越すのと同じように、飢餓の急増は食料を積み山道を走るトラック隊を追い越してしまう恐れがあります。

 

Afghanistan
アフガニスタン北東部ファイザバード空港にあるソ連が建設した滑走路 Photo: WFP/Jon Dumont

私は11月にアフガニスタンを訪れ、冬の訪れを前にした人びとの様子を取材しました。

 

最初に訪れたのは北東部のバダハシャン州。北東部のファイザバード空港に降り立つと、ソ連軍(1979-89年の占領期)が建設した金属性の廃滑走路があり、航空機用タイヤのディーラーが常時忙しく働いていました。

 

そこからタジキスタンの国境に向かって雪に覆われた山の中を通り、凍った、ときには舗装されていない道路を4時間運転しました。

 

そこで、ファルーク村の国連WFPの食料配給所で、夫と子ども4人と暮らす仕立て屋のバクト・ビビさんに出会いました。国連WFPの食料がないときは、彼女とその家族は、パンとミルク入りの紅茶を中心に食べて生き延びています。

 

ミルクが買えない時は、多くの家庭で非乳製品を使用しているそうです。一方、干ばつや燃料価格の高騰により小麦の価格が高騰し、主食の一つであるパンは多くの人にとって高価なものになっています。

 

そのため、この地域の人びとは、パンの代わりに「黒い小麦」又は「パトゥク」という品種を食べるようになったこともあります。しかし、この小麦は食用には適さず、特に手足に科学物質による麻痺を引き起こすと疑われています。

 

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バクト・ビビさんは夫と4人の子どもと暮らしています。Photo: WFP/Jon Dumont 

バクトさんは、土地や家畜を売らなければならず、裁縫だけでは生活が成り立たないと言います。干ばつのため、料理や暖房の燃料となる草や低木を集めるために、ますます長い距離を歩かなければならなくなったそうです。

 

国連WFPからの食料は、多くの人が耐えている絶望と飢餓から彼らを守るために役立っています。

 

ファイザバードからアフガニスタンの商業の中心地であるマザリシャリフに飛びました。

 

有名なブルーモスク周辺の通りでは、絶望が専門職の人びとにまで広がっていました。

a blue mosque
マザリシャリフのブルーモスクPhoto: WFP/Jon Dumont

 

私は医者や学校の校長、軍人などがティーカップ、椅子、靴、スプーンなど、売れるものは何でも売ろうとしているのに出会いました。しかし、誰も買おうとしていません。誰も買う余裕がなかったのです。

 

ブルカをかぶった女性やそうでない女性たちがあつまってきて、カメラを持った外国人に自分の話をしようと躍起になっていました。

 

ある女性は「もう何も残っていない、ここにいる人に聞いてみて」と叫び、隣人を指さしました。「彼女には5.6人の孤児がいるが、何もない。食べ物も何もない」。

 

別の女性が割り込んできて、さらに別の女性に注意を促しました。「彼女の息子は殉教した。彼女の家には5,6人の子どもがいて、小麦粉の包みさえ持っていないのです。」

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女性たちは困難な状況を伝えようと躍起になっています。Photo: WFP/Jon Dumont

 

しかし、空港近くの国連WFPの食料配給所では、その絶望の大きさを痛感させられました。

 

そこで私は、高校を卒業したばかりの19歳のマフムードさんに会いました。

父親は亡くなり、母親は失明寸前。兄はイランへ出稼ぎに行き、母親と弟の面倒はマフムードさんに任せたままでした。

 

声がかすれ、ほぼ完ぺきな英語で、「家族が学費を払えなくなったので、医者になるのはあきらめました」と話してくれました。

Mahmoud's dreams of becoming a doctor appear ruined. Photo: WFP/Jon Dumont
医者になるというマフムードさんの夢は崩れてしまいました。Photo: WFP/Jon Dumont
He leaves a food distribution point with this family. Photo: WFP/Jon Dumont
家族を連れて食料配給所を後にするマフムードさん Photo: WFP/Jon Dumont

 

「昨年高校を卒業したのですが、今は無職です。何もないんです。私はたくさんの夢がありそれを実現したいのですが、残念なことに、ここにはその機会がありません。私にはチャンスがないんです。私はいつか国民の役に立ちたいと夢見ています。でも、この国では…どうしたらいいのかわからないんです」

 

ジョージ・エリオットが書いたように、「絶望と呼ばれている多くのものは、かなえられない希望を痛ましくも必死に追い求めることに過ぎない」のです。

 

マフムードさんは別れを告げ、母親の手を引いて、食料を載せた手押し車を追いました。それは彼らが生き延びるために十分なものであり、おそらくは少しの希望さえも与えてくれるものでした。

 

国連WFPはアフガニスタンの全34州で命を救う活動を強化しており、インフレと通貨安で食料確保がさらに難しくなる中、2022年には2,300万人に届くよう大規模な支援活動の拡大を計画しています。

 

国連WFPは2022年に規模を拡大するために26億米ドルを必要としています。これは、支援予定の2300万人に対し、1年を通じて1人当たり約100米ドルの支援に相当します。私たちの取り組みが指示されれば、春に最悪のシナリオを回避することができます。

 

 

国連WFPのアフガニスタンでの緊急支援について詳しくはこちら

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