ハネン・ルーイフィア:困難を乗り越え夢を叶えたチュニジアの小規模農家
「8歳のとき、両親は私が学校に通うのを辞めさせました。私は兄弟や羊の世話、台所仕事と祖母の世話をしなければなりませんでした。」ハネン・ルーイフィアは言います。
ハネンは今、チュニジアで自営農家として働いています。しかし、小学校を退学して以来、これまで数々の困難を乗り越えなければなりませんでした。
ハネンが18歳のとき、彼女が家の仕事をしていると、地域の農業訓練センターの所長が話しかけてきました。「学校で農業を学びませんか」それを聞いて彼女は、学校時代の遠い記憶を思い起こし、涙を流しました。教室での授業、それは彼女が続けたいと思っていて叶わなかったことでした。今まで夢見てきた教育を受ける機会が訪れたのです。
しかし、父親は農業訓練は男子と一緒に受講するもので、女子はハネンだけだから無理だ、と許してくれませんでした。「村の人たちが知ったらなんと言うかわからない」と父親は言いました。
ハネンは村の一軒一軒をまわり、同い年の女の子に一緒に訓練に参加するよう説得しました。しかし、その様子を兄に目撃され、反対されたあげく、彼女は何週間も外に出ることを家族に禁止されました。
訓練参加のための試験の日が来ると、訓練センターの所長は、ハネンがいないことに気づき、女性の農業技師に様子を見てくるよう頼みました。ハネンの家庭を訪れ、事情を知った農業技師は、ハネンの農業教育への情熱が、家族によって打ち砕かれてしまったことを知ります。
「農業技師の女性が家に来てくれて、両親に私の外出を禁止し続けるなら訴訟を起こすと言ってくれたのです。両親は仕方なく、承諾するしかありませんでした。」とハネンは当時を振り返ります。
農業技師の後押しを受けて、ハネンは訓練に参加することができるようになりました。学びに対する情熱を持っていたので、彼女はどんどんスキルを身につけていきました。ハネンは牛の飼育、養蜂、果実の接ぎ木や剪定、樹木や穀物の生産など、様々な研修に魅了されました。
農業適正証明書を手にしたハネンは、毎月120チュニジアディナールの国家手当を受けました。それは彼女にとって初めての収入でした。
彼女は卒業後、父親から小さな土地を譲ってもらい、自分の農業プロジェクトを立ち上げようとします。しかし父親は許してくれませんでした。
その後ハネンは、いずれ農業をやることを夢見つつ、別の街の衣料品工場で働き、品質管理者となりました。工場で働き始めて10年後、ようやく、両親は彼女が農業をすることに同意し、家族の農場で農業を始めることができました。
ハネンは学んだ技術を近隣の農家にも教えました。そのうち10人は冬の保存食料をつくるのに必要な農作物を生産しています。今でははカフェテリアも開業し、二人を雇っています。まだ収益はありませんが、二人の若者に安定した収入を生んでいることを誇りに思っています。
これからの夢を聞かれると、ハネンはこう答えました。「国から農場をもらい、農業協同組合を近隣の住民と作って、市場へのアクセスを確立して、フェアトレードを通じ、地域の農業に貢献したいです。そしてなによりも、自分の子どもたちには勉強し、知識を得てて、自分以上に成功してもらいです。」
国連WFPはハネンを含む小規模女性農家に職業訓練や農業設備を提供する地域の団体を支援しています。