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世界で最も新しい国、南スーダンの飢餓とのたたかい

アーサリン・カズン国連WFP事務局長が先日、南スーダンを訪問しました。カズン事務局長自身による訪問の手記を紹介します。


 
私は朝の5時半に起きて、念入りに荷物を確認して、ゴム製の長靴をはいて、職員と共に空港に向かいました。元国連WFP職員だった人道支援・防災大臣が飛行機の滑走路で私たちを待っていました。彼は身長2メートルを超える長身です。後から農業省の大臣が私たちの眠たそうなグループに加わりました。
 
私たちはスーダンの国境から120㎞のところにある、南スーダンの北西にあるアウェルという地区に飛行機で向かい、空港から30分離れた農場に行きました。赤土の道路の両側は緑にあふれ驚きましたが、近くで見ると草や木が水の中に沈んでいました。川の水が溢れ、あたりは水没していました。また道路も非常に悪いことに気付きました。空港に向かう道路以外は舗装されていません。赤土の道路には深い穴がたくさんあり、自動車はそれらをよけるのに必死です。
 
到着して歩きはじめると、足が泥の中に沈んでいきました。私はゴムのブーツを履いていてよかったと思いました。歌声が聞こえる方へ行くと、村の人々が私たちを迎えてくれました。村の人たちは私をとり囲むと、私にラワという青と白の模様のカラフルな南スーダンの布を左肩に巻き、それに合ったネックレスも首につけてくれました。スタンレイク・サムカンゲ国連WFP東・中央・南部アフリカ地域事務所長にも赤と黒のラワと銀色で光るネックレスが贈られました。
 
農場に着くと、アウェル地域発展慈善団体(ACCD)で唯一の女性幹部のエリザベスに出会いました。この小さな事業団体には女性280人、男性220人を含む500人の農民が加入しており、ソルガム(イネ科の穀物)、ゴマ、ラッカセイやトウモロコシなどを耕作している、とエリザベスは誇らしげに語りました。国連WFPは彼らに食糧を支援していますが、それは多くはありません。しかし彼らが耕作を続けるのには十分な支援です。
 
私は彼女に「売れるぐらいたくさん作物を育てるつもりですか?」と聞くと彼女は「はい」と強く答えました。「余ったお金はどう するのですか」と聞いたら、「同じです。もっとたくさん食糧を生産します。ここには病院、道路や交通手段がありませんから。」と続けました。エリザベスたちが農業省から農業用の種をもらいこの活動を始めた時、団体メンバーは30人しかいませんでした。今では500人以上が働いています。
 
国連WFPはこれらのコミュニティーが独立できるように政府を支援します。この新しい国では物事を成就するまでにはまだ時間がかかるでしょう。でも、住民の強い意志と理解のあるパートナーがあれば、スムーズに事が運ぶはずです。
 
私たちが出発しようとしていた時、彼女は「事務局長、私はここアウェルであなたの事務局次長を務めますね!」と言いました。
 
彼女は間違いなく立派に「事務局次長」の役を務めるでしょう!
 
次に私たちは45分離れたニョク・トクへ向かいました。ここでは、私たちが5月から支援している、「新生南スーダン復興支援」という地元密着の支援団体の活動を見ました。
 
到着すると、雄牛を押さえつけようとしている村の男たちがいました。この地域では、訪問客に雄牛の上をジャンプさせ、その後その雄牛をふるまって食べるという風習があります。私は覚悟を決めて、ジャンプしました!私の孫が映像を見たら感動するでしょう!
 
私たちは畑の中を歩き、地面が乾燥していることに気付きました。ソルガムは背の丈ほど高く育っていました。そうこうするうちに1メートルの高さの堤防が道をふさいでいました。それは穀物が洪水によって流されないようにと2カ月の工事で作られた、全長4キロメートルの堤防の一部でした。見える限りソルガム畑がどこまでもたわわに実っていることからすると、この堤防は役目を果たしているのでしょう。
 
国連WFPは堤防工事に参加した50世帯を支援したほか、80の穀物生産農家も支援しています。問題はこれらの支援が本当に役立ち、将来、住民が自分たちの力で生活できるぐらい自立できるかということです。
 
国連WFPは農家に87トンの穀物を支援します。農場では120トンを生産すると見込まれています。生産された穀物は農家で分けられ、余った穀物は売られます。その量は少ないかもしれませんが、それでも収入は少し上がります。彼らはたったの4カ月で余剰生産を売るまでのところにきました。
 
農林省大臣が彼をとり囲っている男女に話しかけました。「あなたたちの生産量は15%も向上したけれども、来年は50%アップを目指して下さいね。このグループを協同組合に発展させ、自分たちで全ての経営をできるよう頑張りましょう。国連WFPの助けでこの事業はスタートしましたが、自助自立の努力が必要ですね」と。彼らからは歓声が上がりました。
 
歓声がおさまってから、私は言いました。「戦争の間、私たちはあなたたちの子どもを守る手助けをしました。今はあなたたちが自立して子どもたちを養えるよう手助けをしています。もうここを出発しなければなりませんが、私が戻ってくるときにはこの作物の高さが身長二メートル以上ある大臣よりも高くなっているのを見たいです。南スーダンでは自分たちの子どものためだけに食糧を生産するのではなく、世界を賄えるだけの食糧を生産できる、と世界に知ってもらわなければなりません。
 
南スーダンでも最も飢えが深刻な地域に位置するアウェルは、私が次回戻ってきたときには見違えるように変わっているでしょう。 いずれ道路も舗装され、農家の女性たちが収穫した野菜を最寄りの市場まで持っていき、売ることができるようになるでしょう。協同組合が繁栄し、銀行もちゃんと機能し、医療も身近で受けられるようになるでしょう。親が子どもに十分食糧を与え、不自由なく生活できる、そんな暮らしを私は思い描いています。