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紛争、そして、洪水-立ち直ろうとするパキスタンの人たち

パキスタン北東部は、すでに紛争で打撃を受けていたところに、さらに洪水に襲われた。カイスタン・ジャーンさんは、紛争のため避難生活を送っていたが、ようやく自宅に戻ったところに洪水が発生し、再び避難する羽目になった。いま、彼女とその家族は、食糧支援に支えられて灌漑の用水路を掘 り、果樹を植え、再生への道を歩み始めている。

ジャーンさんは、パキスタン北東部のスワート渓谷で農業をしていた年配の女性だ。2008年、ジャーンさん一家は、アフガニスタンとの国境で紛争が激化したため避難し、以来、自分の家に帰る日を待ちわびていた。

ジャーンさん一家21人は、いったんは帰郷したものの、この夏、大洪水が発生したため、またすぐ家を離れ避難しなければならなくなった。「紛争が起き、避難して、ようやく帰れたと思ったら、大雨が降って、また避難しなければならなくなりました。いつになったら避難生活が終わるのか、まったくわかりません。」と彼女は言う。

二重の悲劇

ジャーンさん一家は、家を離れなければならなかったばかりでなく、育てていた玉ねぎと、飼っていた立派な雄牛を失った。たった一頭生き残ったのはやせ細った牛で、来年の耕作にはほとんど役に立たないだろう。彼女は首を振りながら言う。「玉ねぎと雄牛を失った私達には、もう何も残っていません。」

ジャーンさんの近所に住んでいた人たち200人以上が、ジャーンさん一家と同じように、再度、避難を余儀なくされた。皆、家を失い、またもや、WFPの緊急食糧支援用の食糧-栄養強化した小麦粉、食用油、そして高カロリービスケット-を食べることになってしまった。しかし、紛争で避難した際も、洪水で避難した今回も、WFPの食糧は生活再建に向けての一つの確かなよりどころになっている。

水がようやくひき始めたため、ジャーンさん一家は生活再建に向けての取り組みを始めた。灌漑用水路を掘り、泥流によって埋まってしまった水田から泥を取り除く。一日数時間、このような復興作業に参加すると、労働の対価として食糧の配給が得られる。

住民たちはまた、数百の桃の木を植え直している。スワート渓谷では、数週間続いた洪水が木の根を腐敗させ、果樹園全体を流し去ってしまっていた。

55歳になるナテ・アマルさんは、WFPが実施する復興プロジェクトに、ジャーンさんの夫と一緒に参加している。「私は家や財産すべてを失いました。無力さを感じていましたが、この復興作業に参加すると、力が湧いてくるんです。」と、アマルさんは話した。