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アンジェリーナ・ナダイさんは、今回のオリンピックで初めて結成された10名の難民選手団のひとりです。幼い頃を過ごした北部ケニアのカクマ難民キャンプからリオ大会までの道のりを語ってくれました。
現在の「南スーダン」にある故郷の村でほとんどの子どもたちがそうであったように、アンジェリーナさんは毎日のように家畜の牛から絞った牛乳を家に持ち帰る道中の草原を走っていました。しかし、当時の彼女には、その道のりがオリンピックのコースへとつながっているとは思いもよりませんでした。
スーダンの紛争から逃れたアンジェリーナさんは、幼年期のほとんどを叔母と一緒に避難先のカクマ難民キャンプで過ごしました。
「彼女は自分が難民チームに選ばれたということを直前まで知りませんでした。」
難民キャンプの学校の中で、アンジェリーナさんは選手になりたくて陸上競技を始め、好成績を残していきました。そして2015年からケニアのマラソン選手テグラ・ロルーペが運営する財団の助成を受け、本格的なトレーニングを開始しました。
自分が難民選手団に選ばれたということを彼女は直前まで知りませんでした。この選手団には、彼女と同じ、カクマ難民キャンプ出身の南スーダン難民のランナーや、エチオピアのランナー、シリアの競泳選手2名、コンゴ民主共和国の柔道選手2名が選出されており、アンジェリーナさんは女子1,500メートルの陸上競技に出場します。
「2002年にカクマ難民キャンプに到着したときのことを、私はほとんど覚えていません。私はとても幼かったのです」と、アンジェリーナさんは語ります。「覚えているのは、国連WFPからの配給…15日ごとに食糧を受け取っていたことです。食糧配給には非常に助けられたのですが、時々食糧が足らず受け取れないこともありました。」
食糧と教育はつながっている
「国連WFPから得た食糧は大きな助けとなりました。食糧支援がなければ私たちは生き残れなかったでしょう。ほとんど何も持っていなかった私たちを、カクマ難民キャンプが救ってくれたのです。食糧を安定して受け取ることができたので、頼りにすることができました。」
アンジェリーナさんはカクマ難民キャンプで国連WFPの学校給食支援も受けました。特に緊急事態の中、子どもたちが学校に通い続け、教育を受け続けるためには、給食が欠かせないと彼女は語ります。
「緊急時に子どもたちに教育を提供することは、平和の基盤になります」と、アンジェリーナさん。
食糧がなくなった時には、学校や教育を継続することは非常に困難になります。飢えていると、成績は低下してしまいます。お腹が何かを必要としている時には、学ぶことができません。学校で食事が出るということは、家にいる子どもたちを通学させる動機となり、また子どもたちがより高いレベルで競い合うことを促進します。
「教育を受けた子どもたちは、自分たちの国の再建に貢献できます。」
「教育を受けた子どもたちは、たとえ彼らの家を追われたとしても、来る将来にしっかりと準備ができ、故郷に平和が戻り帰還した後には自分たちの国の再建に貢献できます。」
「教育を受けたのであれば、少なくとも何か持ち帰るものを得られたということです。そして、何か伝えられることがあるということです。少なくとも私たちは問題を理解して、それらを解決しようとすることができます。そして、武器で争うのではなく、言葉で議論ができるのです。」
現在はオリンピックに集中していますが、リオからアフリカに帰った時には、2002年以降、所在が分からなくなっている自身の家族を見つけたいとアンジェリーナさんは言います。可能ならメダルと共に。
「私たちは全く音信不通になってしまいました。両親の姿すら、私の記憶からなくなってしまったのです。戻ったとき、彼らに会えたらいいなと思います。
「私たちは遠くまで歩んできました。私たちは希望と平和の代表です。」
国際オリンピック委員会(IOC)会長トーマス・バッハは、新しく正式に難民選手団を発表したときに、こう述べました。「これらの難民の選手たちは、想像を絶するどんな悲劇に直面しても、誰もが才能やスキル、そして人間の魂が持つ強さを通じて社会に貢献できるということを世界に示すことになるでしょう。」
「私たちは遠くまで歩んできました。私たち難民五輪選手団は希望と平和の代表です」と、アンジェリーナさんは言います。「世界中が、難民という存在を考えなければなりません。私たちはただテレビの中にいるだけではないのです。私たちが経験してきたことを、皆が想像しなければなりません。私たちは恐れる対象ではありません。私たちは人間で、公平に扱われるべきなのです。」