学校給食は未来への種まき
国連WFP日本大使 知花くららさん
私とアフリカとの出会いは、2008年。国連WFPのオフィシャルサポーターとしてザンビアに現地視察したのがきっかけでした。私が国連WFPの活動に賛同して、ぜひ協力させて頂きたいと思ったきっかけが国連WFPの「学校給食プログラム」です。子どもたちが学校に通うきっかけとなり、給食でお腹を満たし、勉強に集中することができて、豊かな将来を思い描けるようになるー。そんな国連WFPの学校給食プログラムに感銘を受けたからでした。
ザンビアでは、念願の学校給食プログラムの現地視察に向かいました。でも、そこで目にしたのは厳しいザンビアの現状でした。
学校を訪れると、子どもたちは列をなして給食の配膳を待っていました。手には樹脂のお皿。子どもたちは制服を着ていましたが、よく見ると、ズボンは破れてお尻が見えていたり、靴を片方履いていなかったり。見慣れないアジア人を不思議そうに見ていましたが、そのうち笑顔を見せてくれる子もいました。貧しくても、子ども達の笑顔は世界共通なんだと、嬉しい気持ちでした。そのとき、国連WFPの現地職員が私の耳元でこう囁きました。
「彼らの多くは、HIV孤児です」
2008年頃のザンビアは、HIV感染率も高く、両親を亡くしそのままストリートチルドレンになる子どもも多くいるとのことでした。親もなく、日々の食料にも事欠く暮らし。さらに、水道もなければ電気もなく、病院や、時に雨風をしのぐ家さえない。今の日本ではそんな状況は考えられず、私には理解しがたい現実でした。けれど、私がなんと感じようと、これが現実です。ここで生きている人たちはこの毎日を必死で生き抜いている。だからまずは、この現実を受け入れることから始めよう、と心に決めました。
(2008年ザンビア視察)
ザンビアの現地視察で印象に残っているのは、養蜂を始めたお父さんのことです。ザンビアは貧しさから、違法な狩猟を行い、市場で肉を売り、現金収入を得る人々がいます。これでは生活はいつまでも安定しません。そこで、国連WFPは現地のNGOと協力して村の人々に農業を広めるプロジェクトを行っていました。これはとてもハードルが高いことです。なぜなら、農業は、収穫まで時間がかかるからです。その間の収入や食料をどう確保するのかと抵抗を示す人も少なからずいました。しかし、国連WFPが収穫までのサポートをすることで、徐々にモデルケースも出ていました。あるお父さんは、私にこう話してくれました。
「養蜂を始めて、生活が楽になったんだよ。子どもも学校に通わせることができるようになってね!」
と、とても嬉しそう。父親としての自信と誇りが漲っていました。私はとても嬉しくなりました。どこの親も一緒です。子を思う気持ちや、よりよい生活をさせたいという願いー。そんな想いに、少し手を添えるような支援で、人々の暮らしを劇的に変えるのです。
初めての現地視察から11年で、アフリカでは5カ国を訪れてきました。そのたびに色々な出会いがありました。ケニアでは、元オリンピック陸上選手のポール・テルガトさんにお会いしました。彼は、アトランタオリンピックとシドニーオリンピックでマラソンの銀メダルに輝いた人物です。幼い頃は、国連WFPの給食プログラムの支援を受けていました。とても優しく、フレンドリーな彼は私の肩をバシッと叩いて、
「くらら、いいかい。学校給食プログラムは子ども達の人生を180度変えるんだよ。僕がその証明だからね」と太陽のような笑顔で言いました。不思議ですが、私自身が逆にパワーをもらったような気がしました。
国連WFPの学校給食プログラムは、種まきのような活動です。未来に花を咲かせるために、今、土を耕し種子をまく。けれど、その花が咲くまで時間がかかります。それが実になるまでならなおさらです。けれど、テルガトさんはまさにその花を咲かせ、今度は自国の子ども達のために活動している。学校給食プログラムが、本当に人々の支えになっていたんだと勇気をもらったのです。
アフリカで出会った人々はみな、苦しいであろう生活の中で力強くいきている人ばかりでした。これからも国連WFPの支援について、そして、現地の人々の生活についてより多くの人に伝えていきたいと思っています。