リベリーの物語:国連WFPで活動する大虐殺の生存者
子どもの頃、彼女は国連WFPから緊急栄養支援を受け、現在はブルンジ難民を支援する監視員として活動しています。
ルワンダでのツチ族に対する1994年の大量虐殺の生存者であるリベリー・カユンバは、戦争の恐怖を目の当たりにしてきました。彼女はわずか12歳の時に大虐殺で両親と兄弟を亡くし、そのトラウマは飢餓の危険性によってさらに悪化しました。
「次の1時間まで生き残ることができるかどうかわからないまま、家の中で3か月過ごしました」と彼女は言います。「私の家族の誰も[大虐殺の間]仕事や農場に行くことができなかったので、食べ物を入手することは非常に困難でした。人道的食料支援なしには生き残れなかったでしょう。」
その経験がきっかけで、彼女は国連WFPに参加し、人々の生活に変化をもたらす手助けをしたいと思うようになりました。かつて国連WFPからの食料支援の直接の受益者であった彼女は、現在タンザニアとの国境から数キロ離れたマハマ難民キャンプで、約6万人のブルンジ難民に毎月の食料配給を行っている国連WFPの監視員として働いています。
彼女は語ります。「子どもの頃から、困っている人を助けたいと思っていました。人が人を殺すのを見て、すべての苦しみを目の当たりにし、この思いをあらたにしました。大虐殺の記憶と、助けを必要としている人々の姿を見て、私は国連WFPに参加する決心をしました」。リベリー は、仲間の難民の痛みや苦しみを感じることができるだけでなく、紛争から逃れて弱い立場に置かれたコミュニティにとって食料が果たす基本的な役割を理解しています。
「紛争中も紛争後も、食料は常に命を救うための必要条件です」とリベリーは言います。「大虐殺の最中も直後も、食料を手に入れることが生存者の祈りでした。国連WFPから食料支援を受けたとき、私たちは大喜びしまた。この時期に食べた黄色いトウモロコシの粉、パテ・ジョーヌは忘れられません。また、国連WFP が配ってくれた「USA」ブランドの強化油や栄養強化ビスケットも忘れられません。」
大虐殺の後、国連WFPは必要とする人々に緊急食料支援を実施しました。国連WFPは現在も、近隣のブルンジやコンゴ民主共和国からの約138,000人の難民に対して、命を救うための人道的な食料・栄養支援を行っています。
国連WFPはまた、政府やその他の利害関係者に技術支援を提供し、増大する変動性や気候変動ショックに対抗して食料システムを強化しています。これにより、持続可能で健康的な食生活がすべての人に手頃な価格で提供されるようになり、フードバリューチェーン全体を通じて農家の生計向上にも貢献しています。国連WFPはまた、ルワンダ全土の学生に栄養価の高い地元産の学校給食を提供するために、政府を支援しています。
リベリーは経験から、「家族の食料不安に対処すると、緊張感が和らぐ」ことを理解しています。ルワンダは、90年代半ば以降、大きな進歩を遂げてきました。この国では、食料生産の増加、より良い保健・教育施設、生活の質の向上が見られました。
「平和と和解が勝利を収める」とリベリーは言います。「私にとって平和とは、自由、静けさ、解放を意味します。平和とは、トラウマになるような状況や紛争を経験した後の安堵感のことです。」
リベリーは、国連WFPが2020年のノーベル平和賞を受賞したことを大変喜んでいます。
「今や全世界は、人道的食料支援が紛争や災害の影響を受けた人々だけでなく、飢餓ゼロの達成に貢献する世界中の政府との提携においても重要な役割を果たしていることを理解しています」と彼女は言います。
リベリーの現在の最大の願いは、自分の幸運を他の人に伝えたいということです。「大虐殺が止まったので、私は今、平和に生きることができるようになりました。私は大学教育を修了し、今では子どもたちに食料や教育の機会を提供できるようになりました。」
「また、国連WFPの職員として、自分の役割が認められているということを実感し、誇りと熱意を持って仕事に取り組んでいます。」