「おいしいダンス」ができるまで
EXILE ÜSAさんは8月末から9月初旬にかけて 中米のホンジュラスを訪れ、国連WFPサポーターとして 初めて食料支援の現場を視察しました。10月25日には視察報告会「EXILE ÜSA ゼロハンガーへ向け出航~ホンジュラスの支援現場より~」が開かれ、ÜSAさん自身が感じたことを、率直に語ってくれました。
報告会の目玉のひとつが、ÜSAさんがホンジュラスで作った「おいしいダンス」。「すべての人が『おいしい!』と言える世界を作ろう」というメッセージを込めたダンスは、どのようにできたのでしょうか。
「防弾チョッキ必要?」 国のイメージ、現地で一変
ホンジュラスという耳慣れない国について、日本でかろうじて得られる情報が「治安の悪さ」です。ÜSAさんも「(EXILEの)メンバーに話したら『防弾チョッキを着て行った方が良いのでは?』と言われ、さすがにドキドキしました」と、会場の笑いを誘います。
しかし現地に行ってみると、イメージは一変。
「フレンドリーで良い人ばかり。それに誰もが昼ご飯の真っ最中から『夕食、何食べる?』と話すくらい、食べる事が大好きなのが印象的でした」
しかしこんなにも食べ物を愛する人々が、飢えている現実にも直面しました。
ゴミ山の子、給食始まり学校行くように
ホンジュラスは、人口の約60%が貧困状態にあります。特にÜSAさんが訪れた南西部は、深刻な干ばつの影響を受けており、5歳未満の子どもたちの4割が慢性的な栄養不良に苦しんでいます。視察した小学校の生徒も、朝晩空き瓶などのゴミを拾い、それを売って家計を助けていました。ÜSAさんは語ります。
「東京ドームくらい広いゴミ捨て場で、近づくといろんなにおいがして、衛生的に悪いだろうと思いました。以前は1日中ここで過ごす子どももいたようです」
子どもたちを再び学校へ向かわせたのは、国連WFPの支援する給食でした。
「給食が始まると子どもたちが学校に行くようになったと聞いて、すごく嬉しかったです」と、明るい表情を見せました。
父として見た母子栄養支援 心を込めて食べ物渡す
実はÜSAさんには、来年第1子が誕生する予定です。乳幼児や妊婦、授乳中の母親を対象とした母子栄養支援は「父になる覚悟と準備をしつつあった時に見て、すごく勉強になりました」と振り返ります。
「お腹に命が宿ってから2歳まで、『最初の1000日間』に必要な栄養を摂らないと、成長が遅れたり障害が残ったりしかねないことも、初めて知りました。(母親たちに)心を込めて支援物資を渡しました」と、しみじみ語りました。
「みんなが食べられればもっとおいしい」 飢餓ゼロの願い
視察中にÜSAさんは会う人ごとに「あなたにとって幸せな食卓とは?」とたずねていました。するとみんなが「家族と料理を食べている時」「友達に料理を振舞って、みんなで食べるとき」など、親しい誰かと囲む食事を挙げました。
それを聞いて、ÜSAさんはこんな風に考えました。「1人の『おいしい』じゃない。みんなと一緒に食べることが幸せなら、飢餓をなくして誰もが食べられるようになれば、信じられないくらいおいしいと思えるんじゃないか」
「おいしいダンス」には、ÜSAさんのそんな思いが込められています。
アフリカ系の「ガリフナ族」が住む町、テラの学校給食支援を視察した時のことです。
「ダンスの街」とも呼ばれるテラの子どもたちはみんな、踊りが大好きでとても上手。ÜSAさんは彼らと踊りながらふと、物を食べてお腹をなでる動きをしました。すると小さな女の子がすかさず、楽しそうにまねをして踊り始めたのです。ÜSAさんは思わず「おいしいダンス、できた!」
ÜSAさんは報告会で、その時をこう振り返りました。
「おいしいダンスは、僕1人で作ったのではありません。学校の先生や農家の人、国連WFPのスタッフなど食を支える人々の『幸せな食卓』の話が積み重なり、子どもたちと踊る中で、自然と振付が『降りてくる』ようにしてできたのです」
報告会では参加者全員が、おいしいダンスに挑戦。シンプルな動きなのですぐに踊れるようになり、会場はハッピーなオーラに包まれました。
ÜSAさんには「全世界の子どもたちが言葉の壁を越えて仲良くなれるよう、『ダンス語』を作りたい」という夢があります。「おいしい」を皮切りに、これからも「ダンス語」を増やして世界に広めたいと考えているそうです。
報告会の最後、ÜSAさんは参加者に呼びかけました。
「飢餓ゼロってすごくすごく遠い世界の話で、自分に何ができるのかと思う人もいるでしょう。でも僕は現場を実際に見て、支援が広がれば飢餓ゼロは絶対達成できると希望が持てました。僕も頑張りたいですし、皆さんにも仲間になって頂ければと強く思います」