南スーダン代表選手が語る母国の困難 「食べられない悪夢」をなくしたい
南スーダン代表選手へのインタビュー動画[YouTube]
父は病死、何も食べられない日も
2011年に独立した世界で最も新しい国、南スーダン。
この国から陸上の代表選手とコーチ、計5人がJICA(国際協力機構)の斡旋で2019年11月に来日し、東京オリンピック・パラリンピックの出場を目指して群馬県前橋市で長期事前キャンプを続けてきました。
滞在中は、前橋市が住まいや3度の食事、練習場などを、協賛企業が衣類やスポーツの道具をそれぞれ提供しています。前橋市へのふるさと納税を通じて、一般の人々からキャンプへの支援も集まっています。
「来日して、毎日3回食べられることが本当にうれしい」と語るのは、パラリンピック100メートルの選手、クティアン・マイケルさん(30歳)。南スーダン中央部の村で育ちましたが、18歳の時に父親を病気で失い、厳しい暮らしを強いられてきました。
「家族を支えてくれる人は誰もいません。ラッキーな日は1度ご飯を食べられましたが、何も食べられない日もしょっちゅうでした」。パラアスリートとなり首都・ジュバで練習を始めてからも、生活費の援助は一切なかったそう。
「競技場まで歩いて3時間かかり、お金がなくて食べ物を買えない日は、練習に行く力も湧きませんでした。胃が空っぽではトレーニングはできません」。来日して栄養状態が改善したことで、自己ベストは1秒近く縮まりました。
「栄養をつけてエネルギーを蓄えてこそ、パフォーマンスが上がると実感しました。自信がつき、記録を更新したいという意欲も高まりました」
マイケルさんは生まれつき、右腕に障害があります。しかし誰よりも練習熱心で、走りは健常者のアスリートとも遜色がありません。将来は母国で、障害者を集めて競技会を開くのが夢です。
ただ、今は帰国して再び飢餓に直面することを恐れています。親しくなった前橋市の職員に「国に帰ってまた食べ物がない、という悪夢を見る」と、ポツリと漏らしたそうです。
ハードル、砲丸…道具にも事欠く困難なトレーニング
南スーダンでは2016年から、国民の結束を強める目的で「全国スポーツ大会」が開かれるようになりました。
しかし、砲丸投げやハードルなど、競技の設備すら十分にないのが実状。選手の中にはシューズを買うこともできず、はだしで走る人もいます。
400メートルと400メートルハードルの選手、アクーン・ジョセフさん(19歳)は、国内にハードルを備えた施設がないため、隣国ウガンダでトレーニングしていました。
「来日して一番良かったのは、思い切りハードルの練習ができるようになったこと」と話します。週2回、スポーツジムに通うようになって筋肉もつき、記録も縮まったそう。
コーチのオミロク・ジョセフさん(60歳)は「南スーダンは新しい国で経済が脆弱、衣食住すべてが手に入りづらい状態。日本ではすべて用意されており、とてもありがたいです」と、感謝の言葉を口にします。
選手たちは、栄養状態が改善して身体能力が向上したことに加え、「日本で多くの陸上選手と関わる中で、スポーツに関する知識など、他にもたくさんのものを得られた」とも語ります。
マイケル選手、ジョセフ選手はともに「自分のためだけでなく、南スーダン国民の心を一つし、平和をもたらすために走りたい」と抱負を述べました。
またジョセフコーチは日本の人々に、こんなメッセージを送りました。
「皆さんは私たち選手団を支えるだけでなく、スポーツを通じて南スーダンの平和にも貢献して下さっていると言えるのです。ぜひこれからも南スーダンを身近に感じ、支えてほしいです」
700万人以上が飢える懸念
総合的食料安全保障レベル分類 (IPC) 評価によると、南スーダンでは農作物の収穫量が減る7月になると、724万人が深刻な飢餓に直面し、140万人の子どもが急性栄養不良に陥る恐れがあります。
しかし今年4月、国連WFPは資金不足のため、同国で1人当たりの食料配給量を削減すると発表しました。これによって難民や国内避難民、70万人近くが影響を受ける見通しです。
飢える恐怖のあまり悪夢を見るというマイケルさんのような人を一日でも早くなくすため、国連WFPは厳しい状況の中でも懸命に、現地での食料支援を続けています。
(取材協力:群馬県前橋市)