コロナと闘う国連WFP日本人職員
衛生状態が悪く医療体制が脆弱な途上国で、国連WFP職員はどのように闘ったのか。
バングラデシュにある世界最大の難民キャンプで、ロヒンギャ難民の支援にあたる日本人職員、中井恒二郎の声をお届けします。
2020年3月、ここバングラデシュ南東部のコックスバザールでも、新型コロナウイルスの感染が広がり始め、3月末には難民キャンプにおける救命・医療活動以外の全ての支援活動を停止するよう、バングラデシュ政府から通達がありました。
多くの団体がキャンプへの出入りを禁止されるなか、国連WFPの食料支援活動は救命活動のひとつであると認定され、制限を受けながらも、なんとか支援を継続することができました。
国連WFPでは、難民に対し月に1回、11米ドル分の「電子バウチャー」を配布しています。
電子バウチャーというのは電子食料引換券のことで、それを用いてキャンプに暮らす難民が必要な食料などを購入できる「電子バウチャーショップ」を開設しています。
いつも食料を配布している小学校や、栄養センターも全て閉鎖となったため、この電子バウチャーショップが唯一の活動拠点となり、学校給食用の栄養強化ビスケットや栄養食品といった国連WFPの支援食料のみならず、他団体の支援物資の配布も行いました。
5月にはキャンプ内で最初の感染者が確認され、6月には、キャンプに毎日食料を届けていた国連WFP職員の中にも感染者が発生しました。
「キャンプで働いているから感染しているのでは」といった周囲の偏見もあり、一時は自分が普段住んでいるアパートにも戻れず、国連WFPが簡易的なホテルの部屋を借りあげて、そこから難民キャンプに通っていた職員もいました。
新型コロナウイルスという新たな脅威を前に、さまざまな事情により故郷に戻る職員もいましたが、それでも、私を含めた多くの職員が現場に踏みとどまり、とにかく支援を止めないことを第一に、アイデアを出し合い、工夫して活動に取り組んでいました。
「後悔するな。まずはやってみよう」を合言葉に
そのうちのひとつが、キャンプに入る際の渋滞の解消です。
キャンプへの出入りが制限されるようになって以降、軍や警察による検問が実施されたため、朝夕それぞれ2時間もの渋滞が発生し、活動に支障が出ていました。
そこで、職員のアイデアにより、物流のスペシャリストである国連WFPの技術を活かしたシステムを開発。
各車両にQRコードを発行し、検問は窓に貼られたQRコードを読み取るだけになって、渋滞時間も2時間からたった5分ほどで通過できるようになりました。
他にも、コックスバザールにはICU等の医療施設がないため、国連クリニックに提供するために酸素ボンベを購入するなど、今振り返ると試行錯誤の連続でした。
しかし、前例のないこの事態に疲弊するばかりでなく「お手本はない。後悔のないようまずはやってみよう」を合言葉に、積極的に新たなチャレンジをしていきました。
縮小される活動がある一方、新たな事業として、ホストコミュニティ(難民を受け入れているキャンプ周辺地域)の貧困層57万人への食料と現金の配布をバングラデシュ政府と共に実施するなど、大きな実を結んだ成果もありました。
受益者、同僚たちとの信頼関係を大切に
過酷な状況のなかで、心配をする家族を日本に残し、どうしてここにとどまるのか。
それを考えた時、私自身に何か特別な使命感や熱意が人一倍あるからだとは思っていません。
ここコックスバザールにおいて、ロヒンギャ難民やホストコミュニティの受益者に食料を届けることが、今の私のやるべきことです。コロナ禍であろうとなかろうと、それは変わりません。
どんな状況においても変わらずに自分の役目を果たすこと、それこそが何よりも受益者や同僚との信頼関係の構築に繋がっています。
だからこそ、ここに踏みとどまり、目の前にあるやるべきことに取り組んでいます。
同じように現場にとどまり、マスクや手袋をして難民キャンプに通い、自分が感染しながらも、2週間の隔離措置を経て再びキャンプに戻っていた部下や同僚たちの存在は大きく、彼らを信じ、彼らの意思を尊重しながら、心身共に無事に働けるよう、定期的な健康管理休暇や医療面でのサポートも可能な限り行っています。
また、どんな状況でも支援を止めない国連WFPの存在は、バングラデシュの人々にも知られていて、子どもたちは国連WFPの車両を見かけるたびに追いかけて手を振ってくれます。
コロナウイルスの影響で、日本に帰国できる機会は減りましたが、毎回離れるたびに泣いていた私の娘も小学校に入る年齢になり、徐々に私のやっている仕事も理解するようになりました。
海外への興味も湧いてきたようで、夏休みにはバングラデシュに来たいと言ってくれています。
いつか自分の故郷に帰れる日がくることを願って
私は世界中の人々を救うことはできませんが、難民キャンプやホストコミュニティで支援を待つ人々に食料を届けること、何があっても届け続けることが、今の私の使命です。
難民が作った手工芸品などをマーケットで販売したり、ホストコミュニティの住民が収穫した野菜をキャンプ内の電子バウチャーショップで販売するなど、受益者が自らの力で収入を得ることのできる仕組み作りも始まっています。
コロナウイルスだけでなく、サイクロンや頻発する火災など、目の前の問題は山積みですが、それでも、いずれ国連WFPの支援がなくともここで難民たちが食料を手に入れられるように、さらには、いつの日か自分の故郷に帰れる日がくるように。
今日も信頼する仲間たちと共に、食料を届けています。
中井恒二郎(なかい・こうじろう)
同志社大学を卒業後、在中国日本大使館に勤務。その後米国に留学し、ピッツバーグ大学大学院公共国際問題修士号を取得。伊藤忠商事株式会社にてIT物流を担当した後、2001年外務省が若手人材を国際機関に派遣するプロジェクト、JPOに選出され、国連WFPローマ本部に勤務。その後、南アフリカ、ミャンマー、スーダン、日本、パキスタン事務所などを経て現職。2011年の東日本大震災では、仙台で現地調整官として4カ月間支援に当たった。
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