国連WFP、火災で住む場所をなくしたロヒンギャ難民を支援
WFP国連世界食糧計画(国連WFP)は、バングラデシュのコックスバザールにある世界最大の難民キャンプ「クトゥパロン」が火災で大きな被害を受けたことを受け、生活に困窮している人びとを支援しています。
何千人もの人びとが家や持ち物すべてを失い、必死で家族を探しています。3月22日に発生した火災で、11人が死亡、300人が行方不明となり、360人が重傷を負って治療を受けています。
国連WFPの現地活動チームが直ちに派遣され、初動チームを支援するとともに、火災当日の夜から避難した人びとに迅速な食料支援を行いましたが、この火災で、2カ所の国連WFP栄養センターと食料配給所1カ所が全焼してしまいました。
「ずいぶん探してやっと息子たちを見つけました」―こう語るのは、クトゥパロンに住む86万人のロヒンギャ難民の一人、ソムス・アロムさんです。ここに住むロヒンギャ難民のほとんどは2017年にミャンマーで起きた武力衝突から逃れてきた人びとです。
「私はそれまで何も食べていませんでした。持っていたお金はすべて燃えてしまいました。私たちには水が必要です。防水シート、食料、あらゆるものが必要なのです」
国連WFPは緊急支援の一環として、援助の必要性が深刻な人びとに、栄養強化ビスケットの箱を届けました。
国連WFPは現在、バングラデシュ政府やパートナー機関と協力し、6万人の人びとに1日2回、調理済みの食事を提供しています。
「(火事の後は)何も食べるものがありませんでした」と語るのは、85歳の夫の介護をしているアジア・ベガムさんです。「私たちはビスケットを食べ、井戸水を飲みました」
現場の清掃活動と迅速な食糧支援のために派遣された7000人のロヒンギャ・ボランティアの一人、モハメド・アリさんは、火がシェルターを次々と燃やしていく様子や、必死になって子どもの名を叫ぶ家族の姿を見たそうです。体が不自由な人たちは逃げるのに苦労していたそうです。「私は彼らを助けようとしましたが、見るのもつらい光景でした」
アリさん自身、シェルターも持ち物もすべて失いました。しかし、家族が無事だったこと、今はそれが何より大切だと言います。この火災以降、アリさんは国連WFPの食料支援を受ける方法や場所について人びとに説明し、必要なものが行き渡るよう、毎日懸命に取り組んでいます。
食料と水
国連WFPバングラデシュ担当カントリー・ディレクターのリチャード・レーガンは、「今回の火災の範囲と規模は前例のないものでした」と語っています。 「国連WFPは、パートナー企業や多くのボランティアとともに、今回の悲惨な火災の発生当初から、食料と水という最も喫緊のニーズを満たすことで、現地の家族を支援してきました」
ラガンはこのようにも述べています。「かつて2つの栄養センターがあった場所では、記録的な速さでがれきの撤去や在庫の補充が行われ、子どもたちとその母親へのサービスが再開されました。一日も早く人びとが元の生活に戻れるよう、できる限りの支援をしていく決意です」
コックスバザールの上級緊急援助調整官シーラ・グルーデムは「(私たちが)迅速に食料支援を展開できたのは、主に、全国展開する小売り企業、地元のホテルやレストラン、そしてもちろん現地の人道的パートナーとの協力のおかげです」と語りました。 そして、ロヒンギャの人びとが火災に見舞われた初日から温かい食事を摂ることができているのは、彼らのおかげだと感謝の意を表しています。
国連WFPパートナーとして、BRAC、Resource Integration Centre、Save the Children(セーブ・ザ・チルドレン)、World Vision(ワールド・ビジョン)のほか、バングラデシュの小売パートナー企業であるDirect Fresh、Hoque Traders、HMS Corporation、Padma、Samata Traders、Shamsul Alamからの協力を受けています。国連WFPの小売パートナー企業は、国際移住機関(IOM)の迅速な対応の継続を支援するため、これまでに12万リットル以上の水を寄付しています。
国連WFPは、オーストラリア、カナダ、欧州連合(EU)、日本、米国、英国などの国からの寄付に謝意を表します。