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たった一枚の写真が、時には何千もの言葉以上に語りかけることがあります。写真は人と人とのつながりや、世界との一体感を生み出すことが出来ます。そして、人道危機の現場をカメラが捉えた時、写真は人の人生を変える力すら持つのです。
国連WFP写真課責任者のレイン・スクレルーが、飢餓や紛争、自然災害に襲われた地域をカメラ片手に飛び回る自身の仕事について想いを語ってくれました。
悲惨で絶望的な写真は、人道支援機関の啓発や慈善を目的に使われることがありますが、必ずしも最良の選択とはいえません。 もちろん、時には見る人に"ありのまま" を伝えることも必要ですが、衝撃的な写真は、期待とは裏腹に見る人を遠ざけてしまいます。何かしなくてはという感情よりも、そんな現実は忘れたいという気持ちが先行してしまうのです。 反対に、感動を与る生きる希望に満ちた美しい写真は人々の心を揺るがし、行動を呼び起こします。
私たちは、伝えるストーリーを選ぶことができる。
痛みや悲しみのストーリーを伝えるか、希望と喜びのストーリーを伝えるかは私たち次第です。もちろん、両方を伝えることも必要ですが、私は可能な限り勇気と希望のストーリーを伝えるべきだと感じています。例えばウガンダで撮られたこの写真、三人の娘を育てることを誇りに思う母親を写しています。国連WFPの小規模農家を支援するプロジェクトのおかげで、コロスさんは娘たちに食べさせることができるだけではなく、新しい制服を買い、娘たちを学校に通わせることができるようになったのです。「私は3年生で学校を中退してしまいましたが、娘たちには学校に通い続けてほしいです」と語ります。
ハエを振り払うこともできない、極度にやせ細った子どもの写真を選ぶのか、数秒後に同じ子どもが、我が子の回復を信じ祈る母親の腕の中で、愛情やぬくもりを感じながら抱きしめられている瞬間を選ぶかは、カメラマン次第です。愛情と苦境に負けない強い心こそ、私たちが伝えるべきものです。悲しみや極度の貧困を強調することは、厳しい現実に立ち向かっている人々のためにはなりません。
チャドのアベチェ総合病院にある食事療法センターで、私は重度の栄養不良で苦しむ2歳のシェリマちゃんの母親のゼナバ・アバカールさんと出会いました。ゼナバさんには4人の子どもがいますが、夫は4年前に仕事を探しに出たきり戻ってきていません。しかし国連WFPのおかげで、シェリマちゃんと病院にいる間も、村に残した自らの母親と他の子どもたちに、食糧を送ることができたと、ゼナバさんは感謝の気持ちを伝えてくれました。
私は常に、あの母親は、自分の子どもがどのようにメディアに取り上げられることを望むだろうか、と自分に問いかけています。
インターネット上に広く公開される我が子の写真を見て、母親はどう思うでしょうか。なぜ写真を撮られ、それが何に使われるのかを、彼女は理解しているのでしょうか?私はそういった点に気を遣い、被写体になってくれる人とコミュニケーションをとることを心がけています。
カメラよりも、人々のことを第一に。これが人道支援カメラマンとしての責務。
心を開いてくれた人々が私たちを家に迎え入れ、話をしてくれるときは、時間をかけて彼らの話を聞きます。また、私たちのことも彼らに知ってもらい、信頼関係を築きます。厳しい環境にある時こそ、お互いのことを理解し、信頼しあうことが重要です。人道支援カメラマンとは、最高の1枚を撮る仕事ではなく、人々のストーリーを世界に広めることでその人々に貢献する仕事なのだと考えています。
時には、とっさにその瞬間を撮らなければいけない時もあります。例えばニジェールの首都、ニアメにある母子健康クリニックで出会ったこの赤ちゃん。身体測定を受ける際、子どもはあまり喜ばないものですが、この子は本当に嬉しそうな顔をしており、おもわずシャッターを切ってしまいました。
こういう時は、一度写真を見せに行き、どういう用途で使用するか説明します。
写真の使用目的は啓発や資金調達、支援者への活動紹介と多岐に渡りますが、私としては国連WFPの活動がもたらす変化を記録できること自体が喜びなのです。
生活を向上させ、体を育み、夢と希望を与えることが、私たちの仕事の全てです。