学校給食がカンボジアの子どもと地域の未来を変える
カンボジア北部のシェムリアップ州ボストム村の田園はまだ夜明け前。静寂の中、近くの家からかすかに音楽が聞こえてきます。婚礼の宴が終わろうとしています。暗闇に一筋の光が差し込みます。
メック・シナットさんは高床式の家の下でもう仕事を始めています。娘さんのひとりに手伝ってもらいながら、ささげ豆や瓜、レタス、南瓜など地元の新鮮な野菜の重さを計り、分けて袋に詰めます。これをスクーターに積んで、地域の学校に届けます。
道の向こう側では、WFP国連世界食糧計画(国連WFP)の学校給食プログラムに参加する、地元の小学校の給食を用意する小屋で、調理師のリーチ・パンさんが火をおこしています。パンさんは娘さんとともにもうすぐ、150人の子どもたちの朝食の準備に取りかかります。
メニューは旬の野菜、魚、スパイス、ハーブを使った、「サムローココ」と呼ばれるスープです。米国農務省から食用油とともに寄付された栄養強化米と一緒に提供します。
未来への投資
5歳未満の子どもの3分の1近くが、年齢相応の身長に達していない発育阻害の状態にあるこの東南アジアの国では、栄養不足対策に年間GDPの約1.7パーセントが費やされており、学校給食が状況を変える大きな鍵となる可能性があります。
国連WFPとカンボジア政府が1999年に開始した学校給食プログラムを通して、ボストム小学校の児童をはじめ、30万人の子どもたちに温かい食事を毎日提供しています。
このプログラムは栄養、教育、社会保障、地域経済にメリットをもたらすことが分かり、カンボジア政府は、国連WFPからプログラムの段階的な引き継ぎを進めています。今年、カンボジアの省庁はプログラム参加校の約4割を対象として、単独で給食の管理業務と費用負担を担い、学校給食への充当額は500万米ドル近くに達しました(2022年は290万米ドル)。
現在、国連WFPはカンボジアの中央省庁や地方自治体と協力し、当プログラムを国の予算や計画、国家保障体制に組み込み、事業を政府に完全に移管するための条件づくりを進めています。
徒歩で通学するほとんどの子どもたち、そして自転車で通学する子や少数派ながら親にスクーターで送り迎えしてもらう子どもたちを校門で迎える校長のバン・サムンさんは、同校が2003年に導入したこの給食プログラムの効果を高く評価しています。
「ココスープなどの食事には子どもの健康に大切な基本的な栄養素がすべて含まれており、病気に感染する可能性が低くなります。」
サムンさんは、識字率が低く、子どもたちが学校を欠席しがちだったこの村で、他にも変化を感じています。
「学校給食により、状況が変化しました。児童生徒数が増え、中途退学は減りました。進学する子も多くいます。」
学校給食の重要性は自治体でも認識されています。ボストム村のあるクナーポー郡では、リーチ・パンさんのようにボランティアから始める人も多い学校調理師への手当ての支給を行っています。
郡長のクエアン・ケンさんは、「子どもたちのために、おいしく健康で安全な食事を準備する調理師を支援し、後押ししたいと考えています」と言います。
農家に生まれ法科大学院に進学したケンさんは、学校給食があったことで「先生の話に集中して、より多くを吸収することができた」と振り返ります。
女性が中心となった食料システム
国連WFPの学校給食プログラムでは「地産地消」を推進しており、今回の政府への移管の条件にもなっています。食材の7割を地元のものとするという条件をつけることで、雇用創出、貧困緩和につなげ、出稼ぎも減らすことができます。
村の担当者レイ・ロングさんは、学校給食は、地元農家にとって安定した市場となり、収入が増え、好循環が生まれており、村では野菜栽培を始める住民、特に女性が増えていると話します。
「女性が男性に依存するのではなく、より活動的、積極的になることができます。女性が自分自身を大切にするようになりました」とロングさんは言います。
また学校給食により、仕事を求めて地方から国外にまで出稼ぎにいく住民も減少しています。
州の教育課に務めるソル・プティさんはこう話します。「出稼ぎに行く人は、子どもを親戚や近所の人に預けて出かけます。自宅で野菜を育てることで、母親は子どもと一緒にいながら臨時収入を得ることができます。」
ボストム小学校からさほど遠くない場所にある広い温室にずらりと並ぶみずみずしいレタスを手入れするトム・ケールさん。学校に食材を提供する農家のひとりで、学校に毎週納入する作物に誇りを持っています。
「わたしの野菜は、子どもたちが健康にたくましく育つよう、化学肥料を使っていません」と話すケールさんは、野菜を学校に販売することで、生活に一定の保障が得られると言います。
日没前、メック・シナットさんはスクーターで農家をまわり、次の日の食材を購入します。夜が明けると、また娘さんと一緒に野菜を袋に詰め、給食の準備に間に合うように学校に届けます。
「夫や家の農業に完全に依存するのではなく、自分の収入を得たいと考えました」とシナットさんは言います。自分も農家だったシナットさんは今では地域の学校と農家の仲立ちとして活躍しています。この仕事を始めて2年、家業にも貢献できるようになりました。トラクターの燃料の購入や長女の英語レッスンの費用はシナットさんがまかないます。
ボストム小学校では朝食の時間を告げるチャイムが鳴ります。お皿とスプーンを手にした子どもたちが、あずまやの食堂の外に並び始めます。小さい子たちが我先に駆け寄ります。
14歳のウィ・ヘンさんの姿もあります。妹のアイさんと一緒に毎朝、ご両親が1台につき5か月貯金して買ってくれた中古の自転車で赤い土煙を立てながら通学します。家計は厳しく、学校の朝ごはんが毎日2人の食べる最初の食事です。
「大きくなったらクメール語の先生になりたい」とウィ・ヘンさんは話します。「両親が苦労しなくてすむよう、助けたいです。」
調理場ではリーチ・パンさんが張り切って野菜を切っています。20年近く、学校の調理師として何人くらいの子どもたちに食事を提供してきたかと尋ねると、パンさんは相好を崩し、正確な人数は分からないが、毎年100人から150人ほどだと答えました。
地域がどのように変わってきたかを話すときのパンさんの目は輝きます。「子どもたちの成長は早く、どんどん学んでいきます。そして背も伸びました。」