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トルコ・シリア地震から1カ月:被災者支援に全力を尽くす国連WFPの現地スタッフ

先月発生した地震は両国にこの数十年で最も大きな被害をもたらしました。自らも被災した国連WFPの二人の現地スタッフは他の被災者を助けることが自分自身の慰めにもなっていると話します。
, Elizabeth Bryant
WFP's Hakan Soydas on the job supporting our earthquake response. He spent days in a car after the quakes destroyed his home in southern Turkiye. Photo: WFP Turkiye
国連WFPの地震対応を支えるハカン・ソイダシュ。トルコ南部の自宅が地震で倒壊した後、車の中で何日も過ごしました。Photo: WFP Türkiye

2月6日の早朝、ハカン・ソイダシュは妻の悲鳴で目を覚ましました。トルコ南部の都市ハタイにある彼らのアパートが揺れていたのです。

「自分の家が崩壊し、柱が倒れるのを目の前で見ました」と国連世界食糧計画(国連WFP)の運転手として働くソイダシュは言いました。

彼は急いで隣の部屋から、85歳の義母を助け出しました。バール(鉄でできた工具)でドアを壊し、10代の娘と一緒に一家は建物から逃げました。 

Soydas' quake-demolished apartment building in Hatay, Turkiye. Photo: WFP Turkiye
ハタイにある地震で倒壊したソイダシュのアパート。Photo: WFP Türkiye

マグニチュード7.8の巨大地震が発生していました。生きて逃げられたのは幸運でした。 

2月に発生したトルコ・シリア地震では、少なくとも5万3,000人が死亡し、数万人が病院に運ばれました。何百万人もの人びとが家を失い、その多くがテントや友人、親戚のもとで厳しい寒さをしのいでいます。都市は瓦礫と化し、道路は揺れの影響で崩壊しました。

数百万人の被災者の中には、国連WFP職員も含まれています。ソイダシュは、震災で亡くなった同僚のことについて話す時、胸がつまり、言葉がうまくでてきません。レヴェント・キュチュックアスラン (41)は、2015年に国連WFPに入職後、シリア北西部の活動を支援するシリア・ロジスティクス・クラスターでシニア・アソシエイトとして働いていました。

Levant_Kucukaslan
2月の地震で亡くなった国連WFP職員、レヴェント・キュチュックアスラン(41)。Photo: WFP/Jemma Pietrus 

ソイダシュを含む、両国の現地スタッフは、長期化する紛争の影響から10人に9人が人道支援に頼るシリア北西部に支援を届けるため、しばしば週7日勤務しています。

余震が起きるたび、特に2月下旬にトルコを襲った2つの大きな地震はトラウマになっています。

「私たちの多くは体が勝手に動いています」オメル・チェリクは言います。彼は国連WFPのプログラム・アシスタントとして、比較的被害が小さかったトルコ南部の港町メルスィンのホテルで、他の20人以上の職員と共に働いています。「私たちは自分たちの心の傷からは目を背けるようにしていますが、お互いを強く支え合っています」。

WFP programme assistant Omer Celik (L) and colleagues are working seven days a week on the earthquake response. Photo: WFP Turkiye
国連WFPのプログラム・アシスタント、オメル・チェリク(左)と同僚。週7日体制で地震対応にあたっています。Photo: WFP Türkiye

国連WFPは、このマラソンのような勤務体制によって、トルコとシリアの両国で270万人の被災者に、温かい食事や家庭向けの食料セットなどの緊急食料支援を提供しました。国連WFPはパートナー機関と協力して、地方自治体が運営するコミュニティキッチンや、数十万人のシリア難民が暮らすトルコの難民キャンプ、シリア北部で支援を提供しています。

イブラヒム・ハリルと彼の家族は、アレッポの自宅が崩壊する数分前に逃げ出しました。彼らは現在、車で3時間離れたラタキアのモスクで、他の被災者たちと暮らしています。 

Ibrahim Khalil and his family found shelter and WFP meals in a mosque in Lattakia, Syria. They escaped from their home minutes before it collapsed. Photo: WFP/Ghazwan Jabasini
イブラヒム・ハリルと彼の家族はシリアのラタキアにあるモスクに避難し、国連WFPの食事を受け取っています。自宅が倒壊する数分前に逃げ出しました。Photo: WFP/Ghazwan Jabasini 

「天井が落ちる前になんとか妻と娘を助け出せたのが救いです」とイブラヒムは言います。「あの夜は筆舌に尽くしがたいものでした。私たちは文字通り恐怖を味わったのです」

トルコのソイダシュの家族も、アパートが瓦礫と化し家を失いました。建物から脱出した後、冷たい雨の下で何時間も過ごし、やっとバスに避難することができました。

現在はアンカラで親戚の家に身を寄せています。ソイダシュは国連WFPの車で数日間寝泊まりし、その後、他の同僚とともにハタイ郊外のキャラバンに移りました。 

「私たちはすべてを失いました」と彼は言います。「でも、生活は続いています。私たちは起こったことを変えることはできません。」

地震で家を失った人びと

人道的ニーズが高まっているため、ソイダシュはシリア北部へ人道支援を届ける国連WFPのロジスティクスをサポートする仕事に一時的に就いています。将来的には今の仕事を常勤で行いたいと考えています。

「私たちはシリア北部の人たちと同じ状況にあります」ソイダシュは言います。「私たちは彼らを支援し続けます」

Quake survivors receive WFP hot meals in Aleppo, Syria. Photo: WFP/Hussam Al Saleh
シリアのアレッポで国連WFPの温かい食事を受け取る地震被災者たち。Photo: WFP/Hussam Al Saleh

車で数時間離れたトルコのメルスィンでは、国連WFPのプログラム・アシスタント、チェリクも働いています。地震に見舞われたトルコの都市ガジアンテップの自宅から避難した後、チェリクと彼の家族も数日間、車の中で生活し仕事をしました。現在彼は、平屋建ての家が残っていたチェリクの義父の家に仮住まいをしています。

ソイダシュ一家と同じように、チェリクの妻と4歳の娘はアンカラの親戚の家に避難していますが、地震被災者の流入でアンカラでは家賃が高騰しています。南部の被災地では、毛布など基本的なものが不足しています。

Preparing hot meals for quake survivors in northern Syria. Photo: WFP/Ghazawari Jabasini
シリア北部の地震被災者のために温かい食事を用意する様子。Photo: WFP/Ghazawari Jabasini

地震で何人かの親族が亡くなりました。チェリクの部屋は無傷でしたが、建物には亀裂が入っています。

「私たちは家を失いました」彼は言います。

シリア北西部での国連WFPの人道支援に関するデータをまとめ、日報を書く仕事は、彼にとって慰めになっています。

People line up for WFP hot meals in Kilis, Turkiye. Photo: WFP/Feride Yildrim
トルコのキリスで、 国連WFPの食料配給に並ぶ人びと。Photo: WFP/Feride Yildrim

「ベッドに入ると、色々なことを考えてしまいます」とチェリクは言います。「ほんの少しの揺れでも、人びとは叫びながら逃げ出します」

「しかし」彼は付け加えます。「(国連WFPの)私たちのチームはこうした辛さをポジティブなものに変えています。シリア北西部で150万人以上の人びとを支援しています。そして、その事実が私たちを突き動かしているのです。」

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