恐怖と飢餓: トルコ・シリア地震から2か月
サファさんは夫と家を失いました。彼女と5人の子どもたちは今、鉄橋の下で暮らしています。ムナ・カルムーさんは、家族のためにマーマレード1瓶を買う余裕さえありません。グフラン・シェネさんの子どもは、今は少し落ち着いていますが、トラウマを抱え、時折「地震だ、ママ!」と叫びだします。
2月上旬、トルコとシリアの国境付近で大規模な地震が発生してから2か月が経ちます。彼女たちはいまだにトラウマを引きずりながら、前に進もうと努力している数百万人の一人です。この地震により、5万5千人が死亡し、150万人以上が家を失い、さらに物価高騰が追い打ちをかける中、多くの人が苦しい生活を送っています。
シリア北部の地震被災者にとっては、12年以上にわたる紛争の末に、新たな不幸が重なったことになります。
WFP国連世界食糧計画(国連WFP)の職員も、その影響に翻弄されながらも、人道的対応を支援するためにマラソンのような勤務を続けています。現在、国連WFPの食料支援は、トルコとシリアの両国で最大370万人の地震被災者に届いています。
トルコ国境の町レハンリに拠点を置く国連WFPのシリア事務所でシリア北部での活動を担当するネクヴァ・バイクシュ物流担当官は、「両国にいる兄弟姉妹を支援する必要があると感じています」と言います。
バイクシュ担当官自身も、家族、幼なじみ、そして自宅を地震で失い、さらに国連WFPでの上司で物流担当部長であり、夫でもあったレベント・クカスランさんも失いました。それでも、彼女は歩み続けます。
「何が起こったのか、いまやっと理解し始めたところです」と彼女は言います。「簡単ではないけれど、私たちは多くの人びとの命を救っています。」
バイクシュ担当官の活動は、サファさん、ムナさん、グフランさんのような生存者たちが耐えてきた計り知れない苦難を和らげるのに役立っています。
サファさん(本人の希望により本名は伏せます)は、国連WFPのパートナー団体で働き、地震の被災者に食料を配っています。
ムナさんとグフランさんは国連WFPの支援を受けており、この支援なしでは家族を支えることは不可能である考えています。これらの女性たちは皆、地震で家と愛する人を失いました。
ここでは、そんな彼女らのストーリーを、彼女ら自身の言葉で紹介します。
未亡人で5人の母のサファさん:シリア、アレッポ
夫は地震で亡くなりました。5人の子どもたちにとっても恐ろしい体験でした。
地震が起きたとき、私たちは目を覚ましました。アパートから逃げようと思ったのですが、玄関のドアが開きませんでした。
私たちは助けを求めて叫びました。その時誰かがドアをこじ開けてくれ、私たちは通りに飛び出しました。
それ以来、私たちは鉄道橋の下に避難し、そこで生活しています。私たちを支えてくれる人は誰もいません。
物価はさらに上がり、避難民にも容赦はありません。
昨日、パセリの束を買いに行きましたが、価格は1500 SYP(約0.6米ドル)で、手が出ませんでした。
上司から連絡があり、出勤するように言われたときは、とてもうれしかったです。溺れる者がつかむ藁を見つけたような気持ちでした。
こうして、私は家族の基本的なニーズの一部を支えるために、ある程度の収入を得ることができるようになりました。以前は、パンさえ買う余裕がありませんでした。
私の子どもたちは病気です。父親が亡くなったことを、まるで今起こっていることのように、まだ話しています。それを聞いていると、涙が出てきます。
6人の母親のムナさん:シリア、アレッポ
以前はある程度の希望を持っていましたが、これからどうなるかわかりません。
地面が揺れ始めたとき、私たちは寝ていました。私たちは怖くて泣きながら階下に向かって走りました。階段を降りたとき、2回目の地震が起こりました。
私たちはモスクに避難しました。そこは凍てつくような寒さでしたが、恐ろしくて家に戻ることはできませんでした。
地震が起こる前、アレッポでの物価は高く、生活は大変でした。今、物価はさらに高くなり、生活はより苦痛になっています。
物価は上がり続け、子どもたちが欲しがるマーマレードなど日常的な食品さえも買えなくなりました。暖房用の燃料も買えません。
私たちの生活は恐怖、寒さ、そしてあらゆるものの欠如に支配されています。人びとはここで、かつてないほどの支援を必要としています。
今年に入ってから、国連WFPから毎月食料支援(通常は植物油、砂糖、穀物や豆類などの乾物など)を受けています。これは大きな支えになっています。
3人の母親のグフランさん:シリア、アレッポ
地震が起きたとき、私は子どもたちと一緒に急いで階段を下りて道路に出ました。恐怖で靴を履くのも忘れました。
通りは人でいっぱいでした。私たちの建物の破壊は甚大でした。人びとはそれが裁きの日の到来だと言っていました。
地震が収まり、私は家に帰りました。壁には大きな亀裂があり、バルコニーは破壊されていました。私はいくつかの必需品をバッグに詰め込み、[避難のため]モスクに行きました。
私たちのように仕事がない避難民にとって、国連WFPの支援は命綱です。
子どもたちへの心理的影響は甚大です。地震のトラウマから、ちょっとしたことでも突然「地震だ、ママ!」と叫ぶこともあります。しかし、両親を失った乳児たちなど、もっと悲惨な状況もあり私は心を痛めています。