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【日本人職員に聞く】目指すのは「すべての人の基本的ニーズが満たされている社会」

国連WFPミャンマー事務所・藤原実紀さん(後編)

国連WFPミャンマー事務所で働く藤原実紀さんのインタビュー。

後編ではこれまでのキャリアや、食料支援にかける思いを聞きました。

パートナー機関スタッフとの打ち合わせの様子 ©WFP
パートナー機関スタッフとの打ち合わせの様子 ©WFP

 「お米は一粒残さず食べなさい」祖母の言葉が原点

ミャンマーではクーデター後、各国大使館や国連機関が家族を母国へ退去させ、一部地域では激化する紛争のために各機関が退避を余儀なくされました。都市部では治安の悪化にコロナ禍も加わり、藤原さんら職員も原則的にはリモートワーク。気軽に街でショッピング…といった過ごし方も、できなくなってしまいました(2022年1月現在)。

 

時には危険も伴い、政変などがあれば生活も制約される支援機関の職員。藤原さんはなぜこの仕事を志したのでしょうか。

原点は大分県で農業を営む祖母の言葉でした。

「祖母は食事のたびに『お米は一粒も残さず食べなさい。世界には食べられない人がたくさんいるんだから』と言いました。それで漠然と『貧しい人、食べられない人』のことを意識するようになりました」

 

藤原さんは小2の時、岐阜県から東京へ引っ越しました。すると、もともと引っ込み思案な性格と、環境の変化にこころがついていけなかったのか、学校で口を聞けなくなってしまいました。先生の問いにもうなずく、首を振るといった応答が精一杯で、深く悩んだといいます。しかし中学に入って、一冊の本に出合いました。

「『世界がもし100人の村だったら』を読んで、私が日本に生まれて食べ物や寝る場所に困らないのは、単に幸運だっただけだ、苦しんでいる人たちに比べれば自分の悩みなんて小さいな、と思ったんです」



これを機に藤原さんは、「自分が当たり前に与えられているものを与えられてない人たちのために何かをする」を人生のテーマに置くようになりました。

シャン州で学校給食支援をサポートするコミュニティメンバーと 🄫WFP
シャン州で学校給食支援をサポートするコミュニティメンバーと 🄫WFP

 「飢餓をなくしたい」強い思いと周囲の支えで、ここまで来れた

藤原さんは大学を卒業すると、外資系航空会社で客室乗務員として勤務します。

多くの開発途上国を訪れ、現地でボランティアなども経験したことで、発展途上国での支援に携わりたい、と考えるようになりました。

 

英サセックス大大学院で開発学などを学ぶうちに「最貧困層のひとたちに食料を届け、人道支援の後の自立支援まで行う」という国連WFPの活動に魅かれるように。

院を修了して帰国後は、国連ボランティアおよびUNDPのインターンなどを経験。外務省では非常勤の経済専門調査員を務めて「ドナー側の視点を学べたことが、現在の資金調達の仕事にも生きています」



その後青年海外協力隊員として、念願だった国連WFPのマラウイ事務所に派遣されました。

マラウイは電気や水道などの最低限のインフラも未整備な、アフリカで最も貧しい国の一つ。しかし治安は比較的安定しており、人間性も天真爛漫で細かいことにこだわらない人たちが多かったといいます。

「貧乏でも、家族一緒に仲良く幸せそうに暮らすマラウイの人たちを見て『何が幸せか』を考えさせられました」



2019年5月からは、外務省が若手人材を国際機関に送り出す「JPO制度」で、ミャンマーの国連WFP事務所へ。2021年6月に、正規職員として採用されました。

藤原さんは自らのキャリアについて、民間企業で勤務した後、無給のインターン・ボランティアなども務めており、国連職員としての「ストレートコース」を歩んできたわけではないと強調します。

「帰国子女でもないし、国連職員になれたことに自分でも驚いているくらいです。でも、基本的ニーズが満たされていない人のために何かしたい、という強い思いと周囲の人びとの助けで、困難を乗り越えられました」

 

飢餓をなくすという大きなテーマを持ちつつも、海外協力隊、JPO、正規職員といった小さな目標を設定し達成することが、モチベーションの維持につながったといいます。

「もうひとつ大事なのは、口に出すこと。『国連職員』なんて目標が大きすぎて口に出すのは憚られる、と思うかもしれませんが、あえて周囲に言い続けることで自分の中に覚悟ができ、夢に向かって進む力を得らえると思います」

韓国との資金協力パートナーシップ締結 ©WFP/Htet Oo Linn
韓国との資金協力パートナーシップ締結 ©WFP/Htet Oo Linn

資金調達、重圧とやりがいと

藤原さんは現在、ミャンマー事務所のパートナーシップ・コミュニケーション・レポートユニット長として、4人の部下を束ねています。

「パートナーシップ」は、各国政府の大使館員や民間企業などに国連WFPの活動を伝え、必要な資金を調達する仕事です。ドナー(寄付者)である国や企業に適切な支援が行われていることを報告したり、クーデターなどの変化を迅速に伝えて追加支援を訴えたりするのも、業務の一つです。



配属当初は、支援現場でミャンマーの人たちと接したいという思いや、食料支援に必要な多額の資金を確保することへの、プレッシャーもあったといいます。

「資金不足に陥ると、ラカイン州などの従来の支援地域、次いで新しい国内避難民、資金があれば都市部へ…と優先順位を付けざるを得なくなります。増え続けるニーズに対して、先をみてその分調達資金を増やしていかなければいかないという責任が自分の肩にかかる重さに、押しつぶされそうになったこともありました」



しかし最近は素晴らしい同僚や上司に囲まれ、仕事にやりがいや、面白さも感じています。

ドナー国の大使館員の多くはイメージと大きく違い「困っている人を助けたい」という情熱を持っていました。藤原さんが現地の苦境を伝えると、時には本国の政府を説得してでも、支援しようとしてくれます。

 

また大使館員の中には、いつも受益者目線での行動優先で、クーデター直後にもいち早く食料支援拡大を進めた国連WFPを高く評価する支援者も多いそう。

「受益者のために何ができるかを考え、素早く対応してくれるドナー国の人たちを見て、一緒にこの困難に立ち向かっているんだ」

ある会合では、ドナー国のカウンターパートたちにこう言われました。

「実紀が現場の現状などを頻繁に共有してくれるので、本国へも支援を働き掛けやすくなったよ」

この時「この仕事をして良かった」と改めて感じたという藤原さん。「以前より現地事務所等、支援現場で直接受益者と向き合いたい思いがありましたが、今ではパートナーシップ官としてのやりがいも感じています」

カチン州で、国連WFPが学校給食を提供する学校の子どもたちと 🄫WFP
カチン州で、国連WFPが学校給食を提供する学校の子どもたちと 🄫WFP

「私は地球人」 SDGsも一人一人の取り組みが重要

 「私は自分を『地球人』だと捉えています。日本に生まれたのは偶然にすぎず、どこかの貧しい国に生まれていた可能性も、十分にあると感じています」

藤原さんはこのように話します。

「はるか遠い途上国の人たちの境遇を、自分に引きつけて考えるのは難しいかもしれません。でも、もし自分が彼らと入れ替わったらと考え、ご飯を食べるという当たり前のことができないつらさ、自分の境遇の幸運さを意識してみてほしいです」



ミャンマーの人びとからは「国際社会は、予想したほどクーデターに介入してくれなかった」というもどかしさも感じられると、藤原さんは指摘します。だからこそ、日本からの寄付拡大が「ミャンマーのことを『自分ごと』として考えてくれた」と、彼らの身に染みたのです。



SDGsの「飢餓ゼロ」は、国連WFPなどの支援機関や政府だけでなく、私たちひとりひとりが取り組んでこそ達成に近づきます。

しかし目標が壮大なだけに、個人と言う小さな存在で何ができるだろうかと、懐疑的になることもあるでしょう。しかし、と藤原さんは言います。

「ミャンマーをはじめとした貧しい国々で空腹を抱える子どもたち、そして『我が子に食べさせてあげられない』と自分を恥じている親たちに、私たち先進国の住民が思いを馳せることが、飢餓ゼロを進める起点になると思います」


 

藤原 実紀さん

大学卒業後、客室乗務員として勤務した後、英サセックス大院修了。国連ボランティアのインターンおよびUNDPのインターン外務省非常勤職員などを経て、青年海外協力隊に入り、国連WFPマラウイ事務所に派遣された。その後、外務省のJPO制度で2019年5月からャンマーに赴任し、2021年6月から国連WFPの正規職員として勤務。

 

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