スーダンで飢きん確認から1年 エル=ファーシルで餓死の危機を警告
【スーダン、ポートスーダン】 スーダンの北ダルフール州ザムザム難民キャンプで最初に飢きんが確認されてから1年が経ち、WFPは州都エル=ファーシルから身動きが取れなくなっている人びとが飢餓に直面していると警告しています。人道支援のアクセスが遮断されており、残された住民はわずかな備蓄品で生き延びるしかありません。
WFPは1年以上にわたって、エル=ファーシルへの支援を陸路で届けることができていません。WFPは引き続き、市内の25万人に対してデジタルによる現金支援を提供しており、これにより住民は市場で手に入る限りの食料を購入できます。しかし、これは包囲された都市の巨大なニーズには全く足りていません。
「エル=ファーシルの誰もが、生き残るために毎日苦闘しています」と、エリック・パーディソン東部・南部アフリカ地域局長は述べました。「2年以上にわたる戦争で、人びとは食料を節約したり持ち物を売ったりして、あらゆる手段を尽くしてきました。もはや自分たちの力だけでは生き延びることができず、支援がなければ多くの命が失われる可能性がある」。
交易路が断たれ、食料の供給ルートが遮断されたことで、伝統的なパンや粥の原料となるソルガムや小麦といった基本的な食料品が、エル=ファーシルではスーダンの他地域に比べて最大460%も高くなっています。
戦争中に地元の団体が人びとに温かい食事を提供するために共同キッチンを立ち上げましたが、現在も機能しているのはごくわずかです。市場や診療所などの市民インフラも攻撃を受けています。一部では、生き延びるために動物の餌や食料廃棄物を口にしているとの報告もあります。逃げ出すことができた多くの人々は、横行する暴力や略奪、性暴行の激化を訴えています。
「エル=ファーシルには砲撃と飢えがたくさんありました。飢えと爆弾だけです。だから私たちは離れたのです」と、8歳のソンドスちゃんは語りました。彼女は5人の家族と一緒に、雑穀だけで生き延びていたエル=ファーシルから逃れ、WFPが支援しているタウィラに避難した約40万人のうちの一人です。
WFPはスーダン全土で、毎月400万人以上(5月だけで550万人)に支援を届けています。これはスーダン国内で最も食料不安が深刻な地域や、最も被害の大きい地域が対象です。支援対象には、飢きんが確認された、または飢きんの危険性があるとされる地域の食料不安を抱える人びとの80%にあたる、およそ170万人近くが含まれています。また、60万人以上の女性や子どもたちには栄養補助食品が提供されています。
WFPの支援により、中央ダルフール州の6地域と西ダルフール州の2地域で、飢きんのリスクが軽減されました。しかし雨季が始まったことで、まもなくダルフール州への道路アクセスが遮断されるでしょう。もし支援が中断されれば、せっかく得られた成果が失われる危険性があります。
「私たちは最も困難な状況下で前進してきました」とWFPの物流部門長のコリーン・フライシャーは述べました。「しかし、エル=ファーシルのような主要都市へのアクセスは依然として遮断されています。私たちは、支援を必要とするすべての市民に届けるための道を開けてもらわなければなりません。」
8月1日時点で、WFPはポートスーダンにあるスーダン人道援助委員会(HAC)から、エル=ファシールへの人道支援物資の輸送を許可する承認を得ました。しかし、1年以上にわたり北ダルフール州の州都を包囲している即応支援部隊(RSF)は、人道支援物資の市内への搬入を許可するための戦闘の一時停止について、いまだに同意を示していません。
「WFPは食料を積んだトラックを用意し、エル=ファシールへ向かう準備ができています。我々は、安全な通行を緊急に保証してもらう必要があります」とフライシャー部門長は述べました。
6月には、エル=ファシールへ向かうWFPと国連児童基金(UNICEF)の車列が攻撃を受け、5人が殺害され、支援物資が台無しになりました。
WFPは今後6カ月間にわたり緊急食料、現金、栄養支援を継続するために、6億4,500万ドルの資金を必要としています。
資金不足により、すでに厳しい選択を迫られています。2年以上にわたってWFPの支援に頼ってきた避難民キャンプの一部は、今では何も受け取れていません。
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国連世界食糧計画(WFP) は世界最大の人道支援機関であり、緊急時には命を救い、食料支援を通じて人々が紛争、災害、気候変動の影響から立ち直るための平和と安定、繁栄への道を築いています。