知花くららさん キルギス訪問記
国連WFP日本大使の知花くららさんが、2015年11月、「なんとかしなきゃ!プロジェクト」(国際協力や途上国への関心を高め、自分にできることを見つけてもらうための活動)の一環として、中央アジアの国、キルギス共和国を訪問しました。移動距離およそ2000キロに及んだ知花さんの旅と、シルクロードの国で出会った人々の暮らしについてお伝えします。
国の西側に位置するキルギスは国土の大半が山で、雄大な山並みに牛や羊が放牧されたのどかな農村の風景が広がります。日本の半分の国土面積におよそ600万人が暮らし、人口の多くを占めるキルギス系の人たちは日本人と顔がよく似ています。首都ビシュケクは札幌と同緯度で、訪問した11月には本格的な冬が始まりつつありました。
「ぱっと見ただけでは、あまり生活が大変なようには感じないですね。」と知花さん。キルギスは以前はソ連の一部で、当時、電気や道路などのインフラや社会制度が整備されたため、一見、開発が進んでいるように見えます。しかし、1991年に旧ソ連から独立した後は、不安定な政治体制が続き、モスクワからの補助金も打ち切られ、経済や社会制度が以前よりも後退してしまったのです。さらに地震や洪水などの自然災害なども重なって開発が遅れ、現在は国民の8人に1人が食糧不足の状態です。
まず、知花さんは首都から車で6 時間の東部の町、カラコルのネクラソブ学校に給食を見学に行きました。この学校には旧ソ連時代には給食がありましたが、ソ連解体により停止。2006年に再開したものの、中身はパンと紅茶だけでした。そこで、キルギス政府が給食改善事業を始めたところに国連WFPが給食のノウハウを提供し、今年9月から内容が大幅に改善されたのです。
給食調理室を訪問すると、調理師さんたちがパンをこねたり野菜を切ったり、準備の真っ最中でした。国連WFPは地元自治体と協力してこの調理室を全面改修し、上下水道、オーブンやシンク、コンロ、調理器具などの設備を提供しました。さらに、子どもが必要とする栄養成分を計算した給食メニューのレシピを導入し、調理師の調理研修も実施しています。「調理の方法を細かく教わって楽しかったわ。」と調理師さん。地元の農業振興のため、食材はなるべく地元生産者から買い、「地産地消」の給食を実現しています。「献立も日替わりで、まるで日本の給食みたい。支援が終わっても持続できるように、生産者ともつながりをつくっているのは進歩的ですね。」と知花さんは感心していました。
この日の献立は、ソバの実と野菜のピラフ、キャベツサラダ、焼きたてのにんじんパンとドライフルーツの水出し茶です。ほかほかのパンを食べて、「ずっしりしていて、いい香り。フクスナ(おいしい)!」と知花さん。パンの原料の小麦は国連WFPが提供しているもので、ビタミンやミネラルで栄養強化されています。
子どもたちも、「前はパンと紅茶しか出なかったけど、今年から給食がすごく変わっておいしくなったの!」「そば粉のおかゆが好き。」「ボルシチが大好き。」とうれしそうに話してくれました。
ネクラソブ学校では、給食改善プロジェクトの一環として、食育の授業も始まりました。知花さんも、小学4年生の食育のクラスに参加しました。
「りんごはどのグループに入る?体のどこにいいのかな?」「ハンバーガーは栄養が多いかな?」国連WFPが養成した食育の先生が質問を投げかけると、子どもたちは元気に、糖質や脂質、たんぱく質、ビタミンなどの食品群や、それぞれの働きについて答えます。
授業の終わりには調理実習もあり、フルーツサラダを作りました。
「子どもたちが栄養についてよく知っているので驚きました。どこかで教えてもらわないと偏った食生活になってしまうし、この子たちが親になった時のことを考えても、栄養について学ぶのはとってもいいですね。ちゃんと食べてちゃんと勉強して、素敵な大人になってほしいです。」と知花さん。
バクトゥグル・バイガズィエバ校長先生(右)は、「最初は親に月100ソム(約160円)の給食費を出してもらうのが難しかったのですが、子どもたちがしっかり食べて勉強に集中できるようになった様子を見て理解が得られるようになりました。他の学校もぜひ給食を導入したいと、私たちの学校に話を聞きに来るんですよ」と話していました。
現在はキルギス全土262校で試験事業として行われているこの給食・食育事業を、キルギス政府は国連WFPの支援のもとで全国に拡大していく予定です。
知花さんは続けて、キルギス最大の湖、イシククル湖沿岸の農村に、女性たちのハーブ生産組合を訪ねました。
客にパンをふるまう伝統的なおもてなしを受け、組合メンバーの自宅敷地に入ると、ハーブ乾燥室の中で、バレリアンというハーブの根を乾燥させているところでした。
「前はじゃがいもを育てていたけど、じゃがいもは重くて作業が大変な上に、値段が下がっちゃって高く売れないから困っていたの。そうしたらハーブの栽培と加工法を学ぶ研修が開催されて、研修の間は、国連WFPが小麦と油をくれたのよ。あれは助かったわ。」と女性たち。家父長的な価値観が根強いキルギスでは女性は地位が低く、収入や社会的支援を得られる機会が限られています。国連WFPは4か月間で世帯当たり200キロの小麦と16リットルの食用油を配給し、他の支援団体と連携して、農業研修の実施や農業組合の結成支援、ハーブ加工機具の提供などを行いました。
これがバレリアンの根です。乾燥させ、1キロ200ソム(約320円)でドイツの製薬会社に販売し、現金収入を得ています。「ハーブは小さい畑で育てられるし、軽いし、高く売れるの。今は収入も安定しました。」と女性たちは喜びを語ります。増えた収入は子どもの学費や服代に使ってるそうです。
知花さんは新鮮なハーブティーをごちそうになり、伝統の歌と踊りでもてなしを受けました。
知花さんも踊りの輪に加わると、女性たちは大喜び。「お金が得られることに加えて、みんなで集まって何かするのが楽しいと言っていたのが印象的でした。今までバラバラだった人たちが組合をつくり一緒に働くことが力になっているんですね。」と知花さんは語っていました。
次は首都から車で6時間の西部の町、タラスへ。車は雪の中、霧に包まれ、雲の上に出て、標高3000メートルを超える山道をぐんぐん登っていきます。
到着したアマンバイエブ村は1200世帯が暮らす農村で、日本政府からの拠出金で女性支援のプロジェクトが行われています。
裁縫工房を訪れると、女性たちが縫製や刺繍、服の修理などの作業を楽しそうに進めていました。彼女たちの家庭は貧しく、仕事もなかったのですが、国連WFPが実施した4週間の裁縫研修を受け、手に職をつけたのです。研修期間中は、国連WFPが日本政府の拠出金で購入した小麦粉と食用油の配給を受けました。冬の長いキルギスで、農閑期にもできる裁縫は貴重な収入源となっています。「お裁縫は初めての経験でしたが、手を動かすのはすごく楽しいし、収入が増えました。」と参加者の女性は意欲的です。
知花さんは、「限られた世界で生きていた女性たちが自分たちにできることを発見することが、生きがいややりがいにつながるのですね。」と語り、キルギスの伝統的な刺繍に挑戦しました。裁縫の先生は、「見習いの人をこうやっていつも教えているんですよ。頑張って!」と丁寧に教えてくれました。
次に、同じ村にある農家を訪ね、女性の農家支援について話をうかがいました。畑にはもう雪がうっすらと積もっていました。
プロジェクトに参加した女性たちは、野菜や果物の栽培や、長い冬に備えての保存食の作り方の研修を受け、研修期間中には国連WFPから小麦粉と油の支給を受けました。また、数家庭で農業組合を作り、必要な農機具などを共同で借りて効率的に農業を行えるようになったそうです。女性たちは、「正しい栽培や水やりの方法、種の選び方などを教えてもらって、収穫量が増えました。以前は、自分の家で消費する分すら足りなかったのに、今は余って売れるぐらい収穫できるようになったんですよ。」と語り、青トマトのピクルスやジャム、プラムの砂糖漬けなどの保存食をふるまってくれました。
床下収納には、保存食の瓶がずらり。
参加者は、「日本はこんな遠くのキルギスまで支援してくれて、発展している国というイメージです。日本の皆さん、ありがとうございます。皆さんのご多幸をお祈りしています」と語ってくれました。
キルギス視察全体を振り返って知花さんは、こう語っています。「ソ連が崩壊してそれまであったものがなくなり、上下左右に揺れる状況の中で踏ん張らなければいけなかったキルギスの人たちは大変だったと思います。でも、キルギスの人たちにはエネルギーを感じました。この国は今、自立に向けて最終滑走をしているのだと思います。そして、国の力になるのは『人』。『人』を育て『人』の中に財産を残していく支援に、可能性や希望を感じました。」