ソマリア:アフリカの角の干ばつにあえぐ女性や子どもたち
ミドは、休憩するために立ち寄った見知らぬ土地の浅い墓に、5歳の息子モハメドを埋葬しました。「私たちには食べ物も水もありませんでした。息子は栄養不良で疲弊しており、生き残れませんでした。」とミドは言います。
世話をしなければならない他の4人の子どもを抱え、何日も続く旅を前に、25歳のミドは短く別れを告げ、歩き続けました。やがてこの若い家族は、ドーロゥにあるカバサ避難民キャンプにたどり着きました。ドーロゥはソマリアとエチオピアの国境沿いを流れるダワ川のほとりにある町です。
ミドと彼女の1歳になる娘ファトゥンには、WFP国連世界食糧計画(国連WFP)が資金提供しているヘルスセンターで出会いました。ちょうど彼らがそこに到着してから10日ほど経った頃のことでした。ミドの足は一ヶ月の旅からようやく回復し始めたところですが、まだ悲しみに沈んでいます。彼女は子どもたちと同様に痩せ、飢餓状態にあります。
「私たちには何も残っていなかったので家を出たのです。干ばつと飢えしかありませんでした。」とミドは言います。「私たちは牧畜民で牛とラクダを飼っていましたが、家畜全部を失いました。最後の動物が死んだ時、全てが終わりました。子どもたちに与える水も食べ物もなく、お金を手に入れる手段もありませんでした。」
その後数日間、他の女性たちとも話をしました。アンビヨ、アヤン、デハラは、飢えと何年も続く過酷な干ばつ、資源の減少、死にかけている家畜や死んでしまった家畜、雨が降らないこと、食べ物がないことなど同じような体験を語っています。
彼女たちはそれぞれ、小さな子どもたちをおだてて歩かせたり、抱っこしてあやしたりしながら、避難所を探して昼夜歩き続けた長い道のりについて、詳しく話してくれました。渇きと飢えから免れたとしても、水による感染症で子どもたちが命を落とすかもしれないと心配しながら汚水をすすったこともあったと言います。もっと酷いことには、歩くのを止めたら武装した男たちに子どもたちを連れていかれてしまうこと。3人ともここドーロゥにいる方がより安全に感じると話しますが、彼女たちはもっと多くの助けを必要としています。まだ雨が降っていないのですから。
干ばつが飢きんの脅威を引き起こす
干ばつは上空から見ると最も明らかです。地表に広がり流れているはずの川や支流がひび割れ、灰色に見えます。私が訪れているのは雨季のはずですが、雨は降っていません。もし降ったとしても足りず、すでに手遅れです。
世界のこの地域での降雨パターンでは、毎年2つの栽培期があるのが慣例です。2、3年毎にコミュニティは干ばつに備え、対処できます。凶作の時には、人びとは食料を備蓄するか、貴重な家畜を売って食料と水を購入します。乏しい状態ではありますが、再び雨が降るまでやり過ごすことはできます。
しかしながら、ますます雨は降らなくなっています。降ってもまばらで短時間しか続きません。焼け付くような気温が、より頻繁にこの地域を打ちのめしています。2008年以降、毎年干ばつがあります。2011年の干ばつでは、アフリカの角で広範囲に及ぶ飢きんが起こりました。そして今、飢きんの危険が再びソマリアに迫っています。
「ここ2,3週間で栄養不良の割合は3倍になりました。」とドーロゥの国連WFPプログラム政策官ジャマ・マフムード・アフメッドは言います。「これらの家族はもう何年にもわたって干ばつとともに暮らしており、女性や子どもたちは、ここに来れば支援を得られると分かっているので200-300kmを歩いて来るのです。」
「避難家族の到着時、直ちに救命支援が必要となりますが、危険にさらされている全ての人びとを支援するのに必要なリソースまでは持ち合わせていません。干ばつと現在も続く不安定な情勢は、より多くの人びとが助けを求めてこれからも到着することを意味します。」
ここ数カ月、国連WFPは、新たな飢きんを回避するために一刻を争う中、ソマリア向けの命を救うための食料・栄養支援を大幅に拡大しています。ドナーやパートナーの支援のもと、救援が切実に必要なこの国で、国連WFPは今までにない数の人びと(6月だけでも350万人以上)に支援の手を差し伸べています。
しかし、壊滅的な干ばつが続き、飢餓状態にある人びとの数も増え続けています。700万人以上が深刻な食料不安に直面しています。私たちは、今後数週間で500万人ほどのソマリアの人びとに食料・栄養支援を届けるべく、更なる支援規模の拡大に尽力していますが、当面この危機に終わりは見えません。次の雨季の早期予測は悲観的となっています。
干ばつの最悪の結末を回避するためにも、また、長期的には、ソマリアの人びとが気候危機にもっとうまく対処できるよう、生計、食料システム、強靭性構築プロジェクトを継続していきます。そのために国連WFPは今後6カ月で3億米ドル近くの持続的な資金を必要としています。
私たちがドーロゥに到着した日には、警告(red alert)が発令されていました。これは国連職員が攻撃を受ける、または誘拐される危険が高まっていることを意味します。国連WFPの任務の一環として情勢不安の中で働くことには慣れていますが、この警告でここの状況がいかに厳しいかということを思い知らされます。紛争はソマリアの気候危機を一層深刻化させており、最も必要としている人びとに支援を届ける妨げとなっています。
ドーロゥは、紛争、干ばつ、もしくはその両方から避難した人びとが流入し続けて形成されてきました。ドーロゥは比較的安全であること、国内の他の地域では受けられない支援を人道支援機関が提供していることから人びとが集まってくるのです。
「私たちは何らかの支援が得られると聞いてここにやって来ました。」と24歳のアヤンは説明します。「水もなく、家畜も死んでしまったので私たちは家を出たのです。」ソマリアで紛争を引き起こしている非国家武装団の一つ、アル・シャバーブが家族の問題をより深刻化させたとも述べました。「彼らは日に日に私たちを攻撃するようになり、彼らに怯えながら暮らしていたのです。」
アヤンのような家族は、ソマリア国内での直接的な危険から避難する一方で、何千キロも離れたところで激しさを増す紛争の間接的影響も受けています。ウクライナ戦争は世界規模の食料危機を増長させる波及効果を引き起こし、干ばつによってすでに高騰している食料価格を更に押し上げ、より多くの人びとを飢餓の窮地に押しやっています。
国連WFPの推定では、ソマリア、南スーダン、アフガニスタン、イエメンでほぼ飢きんの状態にある壊滅的な飢餓に耐え忍び、生活苦にある人びとは88万人を越えます。
この状況は、最も脆弱な人びとに最初に影響します。アヤンの18カ月になる娘ムシュタクはドーロゥに到着時、重度の栄養不良だったため体重はわずか6.7kgでした。妊娠4カ月のアヤンは辛うじて生き延びている状態でした。今日、国連WFPは二人を栄養療法と栄養強化されたシリアルで支援しています。そして彼らのように最も危険にさらされた人びとを優先して支援しています。それでも、私たちが提供できる支援は時には遅すぎるのです。
24歳のアンビヨにはヘルスセンターで出会いました。そこで彼女の一番下の子アブディが栄養不良の治療処置を受けていたのです。「干ばつは全てを殺しました。アル・シャバーブは私たちの村を標的にしていたので私たちの住んでいたところは安全ではありませんでした。ドーロゥに着くまで一カ月ほどかかりました。子どもたちを歩かせなければならず、大変な道のりでした。どうしても必要な時にだけ休むことにしていました。フドサ(3歳)は重病で、酷い栄養不良に加え、汚水で具合が悪くなり・・・ここに到着した時に亡くなりました。」
家族はフドサをキャンプの外れの小さなお墓に埋めました。この場所で彼らはようやく安全を見つけたのです。