失業し困窮…家族支える父の苦悩
イエメンでは2015年3月に紛争が激化してから、建設業をはじめとする多くの仕事がなくなってしまいました。一家の大黒柱だった男性の多くが失業して収入の道を失い、家族の生活水準が急激に悪化しています。そんな父親たちに話を聞きました。
「家は部屋がひとつ、そしてバスルーム、キッチン、小さな玄関があり、家賃は月1万イエメンリアル(40米ドル)。良くはないが、安いですから」。
ホデイダに住む40歳の父親、モハマドは言いました。彼は妻と5人の子どもたちと、この小さな家にひしめき合って暮らしています。
彼は紛争前、建設分野で働いており、良い収入も得ていました。しかし今は、ほとんど仕事がありません。
「毎日職探しをしています。仕事さえあればきちんとやり遂げる準備はできていますし、子どもたちに食べさせられるなら何でもします」
収入源を求め、モハマドはオートバイを借りて運送業を始めました。しかし、その2日後に交通事故に遭い、1カ月間、自宅で療養せざるを得ませんでした。
モハマドは懸命に働き、通常1日に約1,500イエメンリアル(3.5米ドル)を稼ぎますが、手ぶらで戻ることもあります。子どもたちになるべく多くのお金を回すため、自分は様々なことを我慢しています。
彼が家族を養おうと奮闘したにもかかわらず、一家は困窮を極めました。このため、1年ほど前から国連WFPの食料支援を受け始めました。
「食料支援を受けられて、嬉しいです。家族を養うための努力は続けていますが、とりあえず食べ物が確保できるというのは、私に大きな安心感を与えてくれます」
国連WFPは、国内で最も貧しい地域の一つであるホデイダでの支援に力を入れています。食料配給では1か月分の小麦や豆類、砂糖、油が配られます。
モハマドは、お金を借りて氷を売り、家族に必要なものを買うお金を稼ぐ計画を立てています。
「ホデイダはとても暑くて、氷売りはいい仕事になると思うのです。そして収入を安定させたいです」
仕事は不定期、無収入の日も
7人の子どもの父親である47歳のアブドラ・アルサッカーフも、仕事を失ったひとりです。
「私はいろいろな地域の国際NGOで10年ほど電気技師として働き、高い収入を得ていました。しかし、紛争のために失業し、攻撃から逃れるために命からがらイッブに来ました」
電気技師として働いていた時代、彼はジブチやシリア、アラブ首長国連邦などさまざまな国を訪れました。しかし今は、家族と暮らすイッブから外に出ることはできません。
アルサッカーフは、新しい仕事を見つけるために奮闘しましたが、無駄骨に終わりました。
「仕方がないので、太陽光発電システムの設置や修理を始めました。でも仕事は不定期で、十分なお金を稼げません。手ぶらで家に帰ることがほとんどです」
このため、彼は国連WFPの毎月の食料支援に頼っています。
「7人の子どもたちと妻、妻の妹とその3人子どもたちに必要な食料を受け取っています。国連WFPの支援がなかったら、もっとひどい状況で暮らさなければならなかったでしょう。感謝しています」
彼は、内戦の間ずっと支援を受け続けられること、そして紛争が早く終わることを祈っています。
イエメン危機が始まって以来、国連WFPは22のパートナーと協力し、重大な食料不足と立場の弱い700万人の人びとに、命をつなぐ食料の供給活動を続けています。