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8月19日は「世界人道の日」。紛争が長引くシリアのホムスで国連WFPの事務所長を務めるモハマドに話を聞きました。人道支援の最前線で感じる困難や、心がけていること、そして、ホムスで共に暮らす家族の事などについて話してくれました。「人々が私たちを必要とするから、私たちは彼らのため、困難に立ち向かわなければならない」と語るモハマドのインタビューをご紹介します。
私の名前はモハマドです。シリアの首都ダマスカスで育ち、子どもの頃の夢は有名なサッカー選手になることでした。国連WFPには、2006年に現場監督者として入職し、今は国連WFPホムス事務所の所長を務めています。ホムスは、街の半分は破壊され、何十万もの人が、安全な場所に避難することを余儀なくされるなど、シリアの他の都市より厳しい状況にあります。
「届ける」ために
支援を行う上で最も難しいことは、「届ける」ということです。どんなに倉庫に必要な物資が揃い、計画や輸送準備が整っていても、止むことのない戦闘や、各勢力による包囲網により、必要としている人々に支援を届けることができない場合があります。私たちにとって、迫撃砲や車両爆弾、その他あらゆる爆発装置が常に脅威です。実際、今私がインタビューのために話している間にも、無数の爆発音が聞こえています。
国連WFPに入職して以来、最も困難だったのは、私を含めて16人の国連機関の職員が、捕虜として過激派に捕まった時です。その時私たちは、包囲された地域に対する任務から帰る途中でした。その時私たちは、10カ月も支援を届けられなかった7万人あまりに食糧などの支援物資を届け終えた直後でした。幸運なことに、2時間後には全員が解放されましたが、この、一瞬にして生死を分けるような状況になった出来事は、一生忘れないでしょう。
現地の言葉を話し、その文化を尊重することで、現地の人との垣根を取り払い、信頼を築くことができます。例えば、ある時、ホムス北部の郊外にある検問所にて、食糧などの支援物資を他の勢力の支配地域に運ぶために待機していた時のことです。一人の戦闘員が、彼の兄弟を殺した人々に支援物資を供給する私たち国連チームに対して、とても動揺し、叫び始めたのです。なので、私は現地の伝統的な方法で、彼の兄弟の死に対し、哀悼の意を伝えました。そして、私たちが支援を届けようとしている対象者が、戦闘のため、この地域に取り残されている女性や子ども、そしてお年寄りなど、罪のない、支援を必要としている市民であることを伝えました。その後、その戦闘員は落ち着きを取り戻し、人道支援物資を通すことを許可してくれました。
大きな責任
私の妻と13歳の息子は, この2年間ホムスで私と一緒に住んでいます。19歳になる娘は現在アメリカで勉強しています。家族は皆元気ですが、爆発が起こる度、息子は学校にいるのか、屋外にいるのか、と心配になります。先週も、息子が友だちとサッカーで遊んでいたすぐ近くで爆発が起こり、息子は恐ろしさのあまり家に飛んで帰ってきました。最悪なのは、ホムスに暮らす人々は、これを「日常の出来事」と思っていることです。そして、爆発が起こると、よく聞かれる質問が「どこで、何人死んだのか」ということなのです。
率直に言って、この数年の紛争のストレスとプレッシャーによって身体的にも負担がかかっています。なので、しっかり睡眠と食事を取り、ポジティブであることを自らに課しています。また、どんなにこの紛争が長く続こうと、この狂気はいつか終わり、人々が以前のように共に生活する日が来ることを、強く信じるようにしています。人々が私たちを必要とするから、私たちは彼らのため、困難に立ち向かわなければならない。国連WFPが負う大きな責任を、改めて自覚します。
世界人道の日とは……2003年8月19日、イラクのバグダッドで国連事務所本部が爆破され、支援活動に従事していた22名が命を落としました。その死を悼み人道精神を受け継ぐために制定されたのが世界人道の日です。世界各地で起きている紛争や災害などで脅かされている人々に対する支援の輪を広げるとともに、困難な状況で支援活動に携わる人々に心を寄せるための日です。