パンの力:戦火のウクライナで前線にパンを届ける職人たち

ナターリアさんが笑顔でドアを開け、私たちを、パンを冷却する小さなスペースに迎え入れてくれました。オーブンのぬくもりと焼きたてのパンの香りが漂う中、冷却棚には天井までパンが並んでいます。このパンは包装され、国連WFPとその協力団体の手により、前線の村々へと運ばれていきます。
小さな村ヴェセリノヴェに1998年に創業したこの家族経営のベーカリーは、地域に愛されて営業を続けてきました。およそ30年にわたり様々な嵐の中をくぐり抜けてきましたが、このたびの紛争 はこれまでにない厳しいものです。
「警報や空爆の中でも、働き続けました」と、パン職人のオレナさんは語り、3年におよぶ全面戦争の日々を振り返ります。「戦闘はわずか30kmのところで始まりました。耳を 塞ぎたくなるような轟音でした。」

「周辺地域からの供給が『軍によって遮断される』中、この地区でパンを提供するのは私たちのベーカリーだけでした」と彼女は加えて言いました。
一緒に働くスヴィトラーナさんは、当時についてこう話します。「私たち二人だけで、1日1,000個以上のパンを焼いていました。仕事中や帰宅途中に砲撃されないかと怯えていました。」
2022年3月、ウクライナ軍が周辺の領土を奪還した後も戦闘は続きましたが、より離れた場所に移動しました。ヴェセリノヴェは前線ほど危険ではなかったものの、仕事がほとんどなく、多くの住民や近隣の町の人びとは、仕事や安全を求めてより豊かな地域へと避難しました。その期間、注文は大幅に減少し、それに伴い賃金も減りました。ベーカリーは閉店に追い込まれる寸前でした。

2023年4月までに、前線はさらに遠くへと移動しました。国連WFPがベーカリーと連携し、ミコライウとヘルソンへの食料支援を開始したことで、ベーカリーは生産を拡大することができました。国連WFPから毎週4,000個の定期注文が入るため、ベーカリーは事業を維持し、従業員を雇い続けることができました。(現在、国連WFPはウクライナの前線で毎月150万人以上に食料支援を提供しています。)
ナターリアさんはその年の秋にヴェセリノヴェに移り、ベーカリーで働き始めました。「私の村には仕事がありませんでした」と彼女は言います。「農場で働く男性が数人いるだけでした。自宅も売るしかありませんでした。ここでさえも仕事の選択肢は限られています。この仕事をできることに感謝しています。」

彼女は私たちに丁寧なパン作りの過程を見せてくれました。パン作りのサイクルは約90分です。まず生地の材料を準備し、大きな捏ね機に入れ、発酵させます。
その後、パン職人たちの手で丁寧に分けて成形された生地を天板に並べ、特別な発酵棚に移し、さらに発酵させます。最後に、パンをオーブンに入れ、焼色がつくまで焼きます。
「この仕事が大好きです」と、生地を成形しながらパン職人のオレナさんは言います。「食品添加物は一切使いません。使うのは塩、水、砂糖、そして酵母だけです。私たちのパンは本当に美味しいですよ。」

国連WFPは、前線のベーカリーと協力しながら、小規模事業者を支援し、ウクライナの人びとが愛する「ハリブ(パン)」を届ける取り組みを続けています。
「国連WFPが支援する人びとからは、焼きたてのふわふわのパンが戦争のさなかで特に慰めになっているという声が寄せられています」と話すのは、国連WFPウクライナ事務局で食料現物支援プログラムの責任者を務めるゲルド・ブタです。「パンはウクライナの食卓に欠かせない存在で、ウクライナ人は毎回の食事に必ずと言っていいほどパンを食べます。」
順番を待つ
近くのリュボムィリウカ村では、ナディアさんが幼い孫の手を握りながら、フードボックスと焼きたてのパンを受け取る順番を待っています。「家は焼けてしまいました」という彼女にとってパンを含むこの支援は「本当に助かっている」と言います。
このベーカリーではドライバーを含む14人が3交代制で稼働しています。国連WFPとの連携の開始以降、ミコライウとヘルソンの前線に、13万個以上のパンが届けられました。


この夏、ヴェセリノヴェのベーカリーでは、生産を拡大するため、より広い施設を開設する計画です。
「人びとの力になれることが嬉しいのです」とスヴィトラーナさんは話します。
EUなどからの寛大な支援のおかげで、国連WFPは過去3年間にウクライナの前線に7,400万個以上のパンを届けてきました。現在も国連WFPは毎月、地元のベーカリーで作られたパン100万個以上を配布しています。その6割は、ヴェセリノヴェのベーカリーのような18の中小のベーカリーから調達しており、戦争の影響が最も深刻な地域の経済を支える助けとなっています。