カメルーン: 中央アフリカ共和国での紛争から逃れてきた難民の避難所
「子どもたちを連れてきてくれ、ここを出ないと殺される」 2013年12月、真夜中にジャナブーさんの夫、ウスマーンさんはそう叫びました。突然目を覚ました彼女は、4人の子どもたちを集め、最初に見つけた服の入ったバッグを持って、夫の車に乗り込みました。その夜、ジャナブーさんの人生は永遠に変わることになりました。
ジャナブーさんと彼女の家族は、中央アフリカ共和国の首都バンギを離れるしかありませんでした。それまで幸せな生活を送っていた故郷を離れる道すがら、悲鳴や叫び声の中に銃声が響いていました。夫は黙々と運転し続けました。彼らの生存がかかっていたです。
「車の中で銃撃され、生きて帰れるかどうか心配でした」と、彼女は涙ながらに語ります。あの夜から8年近く経った今でも、彼女は避難した時の詳細を今でもよく覚えています。
中央アフリカ共和国の市民は、これまで何年も暴力や虐待の犠牲となり続け、何千人もの死傷者を出してきました。ジャナブーさんと彼女の家族のような29万人以上の中央アフリカ人は、カメルーンの北部、東部、アダマワ地域に戦闘から逃れ、家、土地、生計を放棄することを余儀なくされています。
ジャナブーさんと彼女の家族はアダマワのヌガウンデレ(Ngaoundere)に避難しました。
何も持たず避難した一家は、2016年までに国連WFPの現金給付プログラムに登録し、地元の市場で基本的な食料需要をまかなうことができるようになりました。燻製した魚と牛肉、調味料を鍋で混ぜ合わせた郷土料理のジョロフライスを作り終えたジャナブーさんは、「家を出てから、あまりの空腹に悩まされました」と話します。
故郷で貿易商をしていた彼女の家族は、基本的な食料を確保した後、毎月支給される現金支援から残ったものを何とか貯金していました。その貯金でテーブルを買い、油やピーナッツ、トウモロコシ粉などを売り始めたのです。この活動で得たお金で、子どもたちの教育や健康も支えています。
ジャナブーさんは、妊娠4ヶ月の時に夫を病気で亡くしました。4人の母親は、病院の借金を返済するため、食料品や小さなビジネスで得たものを売ることになりました。
今は14歳の娘に頼り、放課後にピーナッツを売って週1ドル稼ぐのがやっとです。それでもジャナブーさんは、借金を返したら小麦粉とピーナッツの取引を再開できるよう貯金したいと願っています。
中央アフリカ共和国では、多くの人びとが避難しなければいけなくなっているため、飢餓は引き続き問題になっています。5歳未満の難民の子どもの3人に1人以上が慢性的な栄養不良に苦しんでいます。一方、人道的活動を支援するための資金は大幅に減少しています。2019年、国連WFPは現金支援の半減を余儀なくされました。そして、11月には完全に停止しました。
特に、栄養不良で生後4カ月の娘に母乳を与えることができなくなったジャナブーさんにとっては、このような状況は、飢餓との闘いの進展を後退させる危険性があります。「現金支援のお金で、娘のために粉ミルクを買うことができました」と彼女は言います。「今は支援額が減ってしまったので、ほとんど買えません」。
カメルーン東部・アダマワ地域の中央アフリカ難民に対する国連WFPの現金支援は、ドイツ、アイルランド、デンマーク、アイスランド、米国の寛大な寄付によって支えられています。