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3月8日は国際女性デーです。多くのロヒンギャ女性が、武力衝突が起きたミャンマーから、命がけの逃亡の末バングラデシュにたどり着き、難民生活を送っています。 国連WFPは9万人のロヒンギャの人々へ電子バウチャー(食糧交換券)を渡し、店で必要な食材を購入できるようにしています。電子バウチャーは家族の中でも女性に配られ、何を買うかの決定権を委ねることで、女性の生きる力を引き出しています。 自信を取り戻し始めた女性たちが、過去の恐怖の体験と未来への思い、そして家族の暮らしを支え、食べさせるための奮闘を語ってくれました。
アミナ・カトゥン
アミナはバングラデシュに来て1年半。昨年8月末に武力衝突が激化する前から避難しており、夫と子ども2人と暮らしています。 「ひどい暴力から逃れてバングラデシュに来ました。人々は殴り殺され、車で家から連れ去られて、自由に動くこともできませんでした。逃げなければ、私たちも犠牲になるところでした。 交戦が始まると、私たちは食べることも座ることもできませんでした。銃撃戦から、みんな走って逃げました。最初は別の土地で食べ物を探そうとし、時には物乞いもしました。その後、国連WFP から食糧を受け取るようになったのです。」 アミナは国連WFPの電子バウチャーを持ち、店で必要な食べ物を選びます。これによって人々は、多様な食材を摂ることができるようになります。また、女性たちは家族のために食材を選ぶことで、自分が物事を決められるという自信をつけていきます。 「本当にありがたいです。私たちはここでほとんどの食材を見つけられるし、安全に食べ物を確保し、平和に食べることができます。配給を受けるため、押し合いながら列に並ぶ必要もありません。私たちは正々堂々と、食べ物を受け取ることができます。 周りの人は私のことを、電子バウチャーを持ち、家計を預かる立場の人間だとみなしてくれます。私の知る国連WFPの職員はみなさん、敬意と気遣いをもって接してくれて、嬉しいです」
サエラ・ベガム
サエラは8人の家族とともに、半年前にバングラデシュへ来ました。 「私たちは正義を求めています。私が見たすべての暴力、奪われたすべての命のために。正義が保たれて初めて、私はミャンマーに帰れる。さもなければ、私は死ぬまでここに留まるつもりです」彼女は世界に向けて、こう訴えました。
コーディザ
コーディザは30年以上、難民生活を送っています。6人の子どもたちは全員バングラデシュで生まれ、難民キャンプで育ちました。 「父と母はミャンマーで殺され、夫と私はバングラデシュに逃げて来ました。つい1年前、大勢の人がミャンマーから逃げてくるようになって、バルカリ難民キャンプに移ってきました。 ミャンマーでは豊かな食べ物、私たち自身の土地、牛…すべてが私たちのものでした。でも、私たちは何もかも残して逃げなければなりませんでした。 ミャンマーからたくさんの人が逃げ出してきた時、ミャンマー国内にはまだ私の姉妹が2人残っていました。数日前、彼女たちへの電話が通じなくなりました。そしてちょうど2日前、近所の人に電話をすると、姉妹は2人とも死んでしまったと言われました。悲しくて、声も出ませんでした。 これまで私は、支援食糧を得るため列に並んでいました。もらえるものは、何でもありがたく受け取りました。でも電子バウチャーはそれよりはるかに便利です。混乱も怒鳴り声もなく、平穏に買い物ができます。もう何百人もの人と一緒に列を作る必要はないのです 今、私は今日何を食べるか、明日何を買うかを自分で決めることができます。魚の干物、にんにく、新鮮な野菜、香辛料、私が必要なものを何でも、いつでも買うことができるのです」
昨年8月25日にミャンマーで武力衝突が激化する前、国連WFPはバングラデシュで、最長で30年以上滞在しているロヒンギャ難民3万4,000人に食糧支援を実施していました。その後、67万人以上が国境を越えて流入したことで、難民キャンプは世界最大の規模に膨れ上がっています。
国連WFPは昨年8月以降、難民88万人に対して、命を救うのに必要な食糧を提供しました。また、妊産婦と5歳未満の子どもを対象とした施設を17カ所設け、栄養強化食品などによる支援も行っています。