学校給食用の温室が、タジキスタンの子どもたちの食事に彩りと栄養をもたらす
寒い冬の朝日が昇る中、ハミダちゃんは凍てつく空気に頬を赤く染めながら、雄大な山々と広大な湖(ヌレク貯水池)を背に、友達と一緒に元気にスキップしながら登校します。
タジキスタン南東部の渓谷の標高が高い場所に位置するチャシュマ村では、校庭の子どもたちの笑い声やおしゃべりとともに、夜明けの霧がゆっくりと晴れていきます。
(この村とヌレクの町は、ソ連時代の1980年に完成した世界一の高さを誇るヌレク・ダムの建設に携わる技術者の住居として建設されました)
ヌラリ・タバロフ校長は、毎朝の運動で整列する児童たちに挨拶します。
校長先生の「1、2、3、4!」という掛け声とともに、児童たちが飛び跳ねます。児童たちはやがて、ピロヴァ・ディロロム先生の最初の授業に向けて目を覚まします。
ディロロム先生が25年前にここで教鞭を執り始めたころ、子どもたちにとって昼食の時間はそれほど待ち遠しいものではなかったといいます。
「当時、子どもたちの食事は主にすまし汁のようなもので、その品質がとても心配でした」と彼女は言います。
「しかし今では、食事の内容は大きく変わり、また子どもたち自身にも大きな変化が見られます。出席率は目に見えて上昇しています」
小さなステップが大きな一歩を生むことがあります。2019年には、国連WFPが温室設備と土地を耕すための機器を導入し、学校の果樹園の拡大を支援しました。
研修期間を経て、この地産地消の学校給食支援は、すぐにこの農村地帯で成功を収めました。栽培された野菜は瞬く間に120人以上の子どもたちの食事を補完するようになりました。
何年にもわたり、ニンジン、キュウリ、トマト、タマネギ、カボチャ、レモンなどが栽培され、子どもたちの食卓に明るさと彩りをもたらしてきました。この重要性はいくら強調してもしすぎることはありません。タジキスタンの人口のほぼ半数は、1日2米ドルほどで生活しています。栄養不良率は中央アジア諸国の中で最も高い数値を示しています。
内陸の山岳地帯にあるこの国では、耕作可能な土地が不足しており、人びとは主に輸入食料に依存して生活しています。そのため、彼らは価格変動や市場の混乱に対して非常に弱く、ちょっとした不測の事態が、弱い立場の家庭に深刻な結果をもたらします。急激なインフレは、人びとの購買力を弱め、生活を苦しめます。
「この学校給食支援が始まる前は、学校給食をサポートするために果物やその他の食料を教師や親たちが追加で提供していました」とタバロフ校長は言います。「しかし、学校が徐々に自給自足できるようになったため、このような支援は徐々に減らすことができるようになりました」
余った食料は教師たちと分け合うか、市場で売られ、その収益は学校に再投資されます。
ここの果樹園は持続可能な成功を収めており、現在、3つ目の温室には鮮やかなレモンの木が植えられています。
国連WFPが提供するのは小麦粉だけです。毎朝、学校の塀の内側で丁寧に作られた焼きたてのロールパンの香りが蒸し焼きオーブンから漂ってきて、子どもたちの食欲をそそり、食事に香ばしさを添えます。
「子どもたちは、家で食べるよりここで食べる方が好きだと言うんです」と話すのは、厨房で働くルクショナさんとシャブナムさん。
「給食のほうがおいしいわ」とハミダちゃんも言います。
昼食のベルが鳴ると、1年生の児童は2人ずつきちんと列を組んで教室から出て、食堂の椅子に座り、先生の許可が出るのを今か今かと待ちます。
食事が始まります。今日の給食は、「マッケローニ」と呼ばれる、ニンジン、タマネギ、トマトの入ったパスタ料理です。
「食べた後は力が湧いてくるんだよ」と7歳のヨーシンくんはにっこり笑います。足がやっと床につくヨーシンくんは、パンをスープボウルに浸して食べます。時折、彼は学校の果樹園で収穫されたリンゴを乾燥させて作られた天然ジュースをマグカップからすすります。
「給食を食べて集中力が上がるので、もっと良い成績を取れると思います」と言うハミダちゃんは、将来は教師になりたいと付け加えました。
同校に50年以上在籍しているタバロフ校長は喜んでいます。「これは、児童の健康や学習に良い影響を及ぼすだけでなく、良い食事を提供することで児童とその家族とのきずなが深まるので、とても重要なことです」
彼の学校での地産地消の学校給食の成功は、タジキスタン全土の44の学校に展開されるモデルとなっています。
ベルが鳴ると幼い児童たちは教室の自分の席に戻ります。児童たちは交代でその日の詩の数行を朗読し、ディロロム先生の優しいまなざしの中、他の児童たちが拍手を送ります。「子どもたちは授業に集中できるようになり、積極的に参加するようになりました」と彼女は言います。
太陽が周囲の山々に沈み始め、子どもたちが下校する頃、ハミダちゃんも学校の裏の小道を通り、彼女が住む丘の緩やかな坂道を歩いて帰宅します。家では一所懸命に両親の手伝いをした後、宿題をします。その娘の姿を見つめる母親のまなざしは優しさに満ち溢れています。母親にとって、学校の温室は野菜や果物を育てるためのものだけではないようです。