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国連WFPの一員であることを幸せに思っています

, WFP日本_レポート

難民から人道支援組織へ:マソーマの物語

マソーマは国連WFPが支援する難民や弱い立場の人々と話しをするときに、よく自分の子ども時代を思い出します。マソーマの家族は1980年代前半にアフガニスタンの紛争から逃れ、パキスタンに難民として移り住みました。そこでマソーマは生まれ育ったのです。

マソーマは自分の両親が教育を受けており、子どもたちの教育にも投資してくれたため、自分を幸運だと感じています。しかし、彼女はパキスタンでアフガン難民が基本的ニーズも満たされず、他人の援助に一生頼っていた姿を鮮明に覚えています。

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マソーマは、人々と直接話をして、国連WFPがどのように支援をするのがより良いかを知ることにやりがいを感じるといいます。写真:WFP/Wahidullah Amani

現在、マソーマはカブールにある国連WFPアフガニスタン事務所のモニタリング&エバリュエーション(M&E)チームでビジネス・サポート・アシスタントとして働いています。自分が幸運にも得ることができた支援を、残念ながら受けることができなかった人々、特に女性たちに貢献し、その人たちが力を得るために支援する機会だと考えています。

自身のバックグラウンドと今までに影響を受けた人を教えてください

私の家族は2014年にアフガニスタンに戻るまで、約30年間パキスタンで難民として暮らしました。私は姉妹のなかで1番年上です。両親が私や姉妹たちに教育を受けさせてくれる手段を持っていたことを幸運に思います。私は医学部準備教育課程に進学したのですが、ビジネスの学位を取得して大学を卒業しました。

誰に影響を受けたかと考えると、最初に頭に浮かぶのは母です。私が知っている中で、もっとも忍耐強く働き者の女性です!父はアフガン軍の士官で家を留守にすることが多かったです。父が家に帰ってくるのは年に3回の計3カ月でした。留守の間、母がすべての家事や雑用をこなし、私たちの面倒を見てくれました。母は病気でしたが私たちにすべてを与えようと努力しました。

母のおかげで、どんな状況でもポジティブさを失わず、あきらめないことを学びました。母だけでなく父も私が夢を叶えることをサポートしてくれました。ですから、私はとても運がいいのです。多くの女性が学校に行き教育を受けることを望むことに罪悪感を覚えさせられるのを見てきました。

畑で働き、家で子育てをする女性は感謝されることがありません。なぜなら、当然のことをしていると思われてしまうからです。私は女性が自らのことを決定する権利を持つべきだと強く思います。そして、両親が私をサポートしてくれたことに感謝しています。

国連WFPで働き始めた経緯を教えてください

しばらくすると、パキスタンとアフガニスタンの新たな国境規制のために父が訪ねてくることができなくなりました。私たちにとって大きなショックでした。妹たちと私はパキスタンで学校に通っており、卒業まで残る必要がありました。その後、2014年に私たちはアフガニスタンに戻りましたが、初めのうちは苦労しました。アフガニスタンでの生活はあまりにも違いが大きく、ストレスが多かったのです。人々の考え方も違いました。爆発などの事件は日常的に発生していました。慣れるまでしばらくかかりましたが、そのうちにインターンシップで忙しくなり、ついに夢でしかなかった国連WFPで仕事を得ることができました!そのことで私の考え方が変わり始めました。キャリアを築き、家族をサポートし、同時に祖国に貢献することができる機会を得られたことに気づいたのです。

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ヘラート州の国連WFP職業能力訓練センターでカーペットを織るための織機を準備する女性たち。写真:WFP/Masooma Said

現在の職務を教えてください

ここ2年間、私はM&Eの1部門であるmVAM(モバイル脆弱性分析およびマッピング)で仕事を行っています。ここでは食料不足をモニタリングするための情報を遠隔で収集しています。主な業務は、職業能力訓練、現金支給、栄養に関する支援をどのようにより良く提供できるかを理解するために行うニーズのアセスメント(評価)です。

また、M&Eのために支援後のアセスメントも手伝っています。国連WFPの支援を受け取った後、人々がどう生活しているかを調査しています。この調査は多くの場合、電話で行います。この仕事でもっとも好きなのは、主要な利害関係者や政府に加え、支援の受益者とも直接かかわれることです。アセスメントを行った後は収集したデータの分析を行い、レポート作成にも携わります。

具体的なプロジェクトについて話したいことはありますか?

最近、カーペットを織る職業訓練を提供しているプロジェクト・センターをチェックするための基礎調査を行う目的で、西部にあるヘラート州に派遣されました。弱い立場にいる女性たちにインタビューを行い、生活環境、食料不足およびその他の生活スタイルについて話を聞きました。

この任務の前に、国中の人に対して恐らく1,000回は携帯電話でのインタビューを行ってきました。でも対面でのインタビューは今回が初めてでした。インタビュー相手の女性たちは大変強い人たちでしたが、生活環境や苦労について話しをしながら何人もが泣き出しました。私は、その人たちをなだめ、力を得られるよう、またよりよい生活ができるように支援すると誓いました。女性たちの顔に浮かんだ喜びと目に宿った小さな希望の光は言葉では表現できません。私は国連WFPで働いていることに強い誇りを覚えました。

センターにいるすべての女性は私たちの仕事に感謝していました。そして、訓練が自分たちの人生に良い影響を与えると話していました。私たちの仕事が実際に良い変化をもたらしていることを目の当たりにすることでやりがいを感じました。

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国連WFPの支援でカーペットを織る職業訓練を受け始めるヘラート州の女性たち。写真:WFP/Masooma Said

人道支援組織の職員であることは、あなたにとってどのような意味を持ちますか?

幼いころから人の役に立つこと、人を助けることの重要性を感じていました。パキスタンに住んでいたころから、アフガニスタンのような交戦状態の国に住んでいる現在まで、ずっと思ってきました。アフガニスタンでは多くの人が愛する人を失い、避難せざるを得ない状態にあり、食料や水を入手することができず、まともな住まいもないのです。私はすべての人が国とそこに住む人々に貢献する役割を担うべきだと思っています。また、父に国連WFPで働くことを伝えたところ、父がどんなに嬉しそうだったか言い表すことができません!父は私がこの分野で働く大きな原動力となっています。また、以前からずっと誠実に仕事に取り組むよう教わってきました。

未来を考えるとき、何に希望を感じますか?

私は国連WFPの一員であることを幸せに思っています。そして人を支援するために多くのことを行っている組織で、小さなことではあるものの自分の役目を果たすことができることを大変誇りに思っています。ずっと国連WFPで働き続けることが私の望みです。でも、この先、人生で何が起ころうとも人道支援組織で働くことをやめることはないでしょう。

(ムニラ・アイマクとアン・ナロ)