避難、貧困、物価の高騰:紛争の11年を耐えるシリアの家族
「自制しているものはたくさんあります」と48歳のイフラースは言います。「例えば、くだものは厳禁です。冷蔵庫を開けてみれば、空っぽだとわかりますよ。」シリアでは、WFP国連世界食糧計画(国連WFP)による毎月の食料支援を生命線としている人びとが600万人近くいますが、彼女もそのうちの1人です。
この数年、イフラースの夫、義理の母親、そして3人の子どもたちは、アパートを次から次へと移ることを余儀なくされています。家賃が容赦なく上がり、最も安い部類の住まいですら、手が届かなくなってしまったからです。
そして、食料の問題です。必需品の価格は記録的な高値となっています。
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彼女は、国連WFPから毎月の食料支援を受けている、シリアのおよそ600万人のうちの1人です。
「最低限の量の野菜と、本当に質素な料理を食べています」と彼女は言います。「そのための食材は、当然ながら、つけで買っています。」
10年以上にわたる紛争を経て、シリアの家族らは今、この国で最悪の経済危機に直面しています。家賃、食料、医薬品、そして燃料が、もはや多くの家族にとって手の届かないものとなっています。国じゅうで人道的支援のニーズが、かつてないほどに高まっています。過去最大の1460万人のシリアの人びとが、人道的支援を必要としており、700万人近くが避難しています。その多くは、何度も移動を余儀なくされました。
イフラースの夫は、日雇い労働者として働いています。しかしながら、国の経済的圧力が高まり、仕事の数が減ったため、少しでも収入を得ようと必死です。「(40から60米ドル相当の)月々の家賃を払うお金がありません」とイフラースは言います。「何と言ったらよいのかわかりません。本当に困難で大変な状況で、ただ悪くなっていくばかりです。(基本的な品物の)値段がどんどん上がっていくのですから。どこの家庭でも欠かせない袋入りのパンですら、値上げされたのです。」
ここ3か月は、この家族はハマーのアパートに暮らしています。シリアの凍てつくような冬の間、暖房も断熱もありません。イフラースは代わりに、捨てられたタイヤを燃料として使わざるを得ません。経済的にひっ迫し、家族に暖かく過ごさせるための焚き木を買うことができないのです。
多くのシリア人びとと同様、イフラースの生活はずっとこうだったわけではありません。紛争の前は、夏の間に食料を保存していたので、家族は一年を通して野菜を食べられました。この3年間、彼女の保存瓶は水で満たされたままになっています。今日の食べ物を買うこともできない家族に、食料を保存する余裕はないのです。
シリアの経済状況は悪化を続けており、その影響は、とりわけ貧しい家族や避難している家族に限らず、誰もが強く感じています。多くの家族は、食べる量を減らし、食事の回数を減らし、最小限の必要を満たすために借金をしていると言います。イフラース一家も同じです。
「私たちは1日に2食とります」とイフラースは言います。「義母は一番下の息子が学校から帰ってくるまでずっと、何も食べません。息子が帰ってから昼食にします。それから、夫が仕事から帰るまで待って夕食にします。1日2食です。」
イフラースにとって特につらいことのひとつは、息子が苦しんでいることです。
「息子が学校へ行く前に泣いたのです。その日のおやつに与えるものが何もなかったからです。他の子供たちが持っていくようなりんご1個すら。何もないのです。」
国連WFPの食料配給に含まれている油と豆類は、もはや彼女にとっては手の届かない品物なので、特に助かるのだそうです。
「この毎月の食料支援がなかったら、生きて行くのは極めて難しいでしょう。私たちは本当に助かっているのです。(受け取る食料の包みの中から)料理に一番よく使うのは、お米、それからひよこ豆です。挽いてファラフェルにします」と彼女は言いました。
「今は何もかもが高く、この支援が本当に必要なのです。」
イフラースの唯一の願いは、彼女が経験しなければならなかったことを経験しなくて済むような、より良い未来が子どもたちに訪れることです。「子どもたちが将来より良い日々を過ごせるよう、自分たちの家を持てるように祈っています。」