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被災者の目に映るトラウマ

, WFP日本_レポート

サイクロン「イダイ」の被災地モザンビークから国連WFP広報官の報告です

2019 年4月4日

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モザンビークでサイクロン「イダイ」の影響を受けた180万人が人道支援を必要としている Photo: WFP/Marco Frattini

「WhatsApp」(スマートフォンアプリ)の通話は時々割れ、途切れがちですが、2週間ほど前のサイクロンによってほぼ全ての通信機能と電気回線がサイクロンによって洗い流されたことを考えれば、通話がつながるだけでも有難いことです。

「空港の再開後、初めてベイラに到着する便で私たちは現場に入りました。サイクロン「イダイ」襲来の24時間後のことです」

電話の向こうでこう話すのは、モザンビーク・ベイラにいる国連WFP南部アフリカ局の広報官、ゲリー(ジェラルド・バーク)です。

モザンビークでは熱帯低気圧がしばしば発生するものの、ベイラはこれまで直撃を受けたことはありませんでした。今となってはベイラの町がサイクロンの直撃に耐えうるようにできていなかったことは明白です。

「町に24時間以上とどまったサイクロンは、ほぼすべての建物に被害を与えました。屋根という屋根は吹き飛ばされ、壁は打ち砕かれ、道路は倒木の根や電信柱によって大きく掘り起こされています。市内の17の病院や診療所は、全壊したか、ひどく損傷を受けました」とゲリーは続けます。

国連WFPの施設もまた大きな打撃を受けました。

「私たちの倉庫の屋根は完全に剥がれ落ちてしまいました。まるで誰かが缶詰を開けたかのようです。幸いだったのは、サイクロンの襲撃が予報された際、地元のスタッフが何時間もかけて備蓄されていた食料全てをプラスチックシートで三回巻き包んだことで、食料物資が被災を免れました。全てスタッフの迅速な判断と働きのおかげです」

より多くの物資が空路や陸路で輸送されたものの、被災直後に何千人もの人々が嵐を耐え抜いた建物(主に教会や学校)に集まり始めた時に、すぐに配布できる食料の用意があったことは非常に役に立ちました。

「生き残った人々の目からは、災害の深いトラウマを読みとることができました。それは、手にしていたもの全てを失った喪失感、苦痛です」とゲリーは話します。「小さな子ども二人と赤ちゃんを抱えた女性に出会いました。彼女は身寄りもなく、家を失ったと言います。彼女の眼は静かに、悲惨な質問を投げかけていました。『これから先、私たちはどうやって生きていったらいいのでしょうか?』と」

ゲリーは18年間に及ぶ国連WFPでの経験の中で、緊急事態も経験してきました。2004年、彼は津波が町をのみこんだ直後のインドネシア・バンダアチェにいました。

「被災の規模は違うかもしれませんが、生き残った人々にとって、その喪失感や、一からすべてをやり直さなければならない苦痛は同じものです」とゲリーは言います。

ベイラの内陸部ではサイクロンが去った後も集中豪雨が何日も続き、状況をさらに悪化させました。

「最初の数時間、数日は、生存者を特定し、さらなる被害を回避するための時間との闘いでした。人々は屋根の上や、高台の土地にぎゅうぎゅうに詰まって避難していました。小さな子どもを連れた家族が木に登っているのも確認されました。夜になると、水位を増す水に慄き救助を呼ぶ声がいたるところから聞こえてきました。時たま、"安全"とされていた場所で急に膝上まで水かさが増すことがありました。すぐに空から救助することができない人々に対しては、私たちは栄養強化ビスケットをヘリコプターから投下し、彼らが救助されるまで十分なエネルギーを保てるように尽力しました」

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サイクロンの後、強い雨が何日も続いた Photo: WFP/Déborah Nguyen

サイクロンによってもたらされた雨は何日も続き、救助活動を妨げ、被害の状況や支援のニーズを正確に把握することが困難でした。

「雲が少し切れ始め、私たちが欧州宇宙機関から衛星画像を受け取ったのは数日後のことです。国連WFPと欧州宇宙機関は業務上の協定があります。これによって私たちは壊滅的な被害の状況を知ることになったのです」とゲリーは説明しました。

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衛星画像により125km×25kmにわたって洪水が広がっていることが判明 Photo: WFP/Déborah Nguyen

「ある同僚が"内陸の海"と表現しましたが、その衛星画像は水が広範囲にわたって地面を覆っている様子をまざまざと映し出していました。そこはかつて、村や畑があった場所です。作物のほとんどがトウモロコシですが、50万ヘクタールに及ぶ農作物が、年間を通して唯一の収穫期の数週間手前で洗い流されてしまったのです。小規模な農業を営み自給自足でまかなっていた多くの人々が、立ち直ることができるようになるまでには長い年月を要するでしょう」

私たちの電話をはじめて一時間が経ってもなお、ゲリーの言葉は絶えることなく、彼のアイルランド英語はよどみなく続きます。彼は丸一日、情報や写真の撮影に奔走し、メディアへの対応に追われていたにも関わらずです。私は彼に言いました、「疲れているはずでしょう」と。

「エネルギーが湧き出てくるんです」とベイラで3週間ほど過ごしているゲリーは言いました。「僕がなぜ国連WFPに入職したのか、もう一度思い返すことができています」と。

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孤立地域に支援物資を運ぶ国連WFPのヘリコプターPhoto: WFP/Déborah Nguyen

「サイクロンで自らも被災したにも関わらず仕事にあたる地元スタッフや、様々な専門分野で救援のために現場に入ってくるスタッフを見ていると、国連WFPは現場に素晴らしいチームがいて、僕もその一員であることを心から誇りに思います」